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「鼓動」2010年10月19日

魯迅の最期

鼓動 世界一の古書街神田神保町。すずらん通りにある内山書店はその中でも中国専門書を扱う店として知られる。創業の歴史は、1917年上海に始まる。内山書店は、戦前在上海日中文化人のサロンとなっていた。とりわけ上海で危機の迫った魯迅を庇護したことでも知られる。

 魯迅には「藤野先生」という短い作品がある。国語の教科書に掲載されていたので覚えている方も多かろう。
 仙台の医学校で学んでた魯迅が、藤野厳九郎という教師の親切を回顧する自伝的短編で、 一人の日本人教師の隔てのない好意と誠実さを伝えるとともに、魯迅の人柄を滲ませていて佳品と言える。魯迅は医学では国は救えないと考え、医学と決別する。

 岩波書店が自社のPR雑誌『図書』に掲載したエッセイをまとめた『エッセイの贈りもの』というシリーズを出しているが、その第1巻に、上海で書店を経営し、晩年の魯迅と友人関係にあった内山完造氏の「魯迅さん」(1955年8月)というエッセイがある。さらに、内山氏の聞き書きの記録の後には、中国文学者増田渉氏の「魯迅の死」(1956年5月)も掲載されている。増田氏もまた、魯迅とは知己の関係にあった。 二つのエッセイはともに、魯迅の逝去と葬儀の模様が記されている。

 留学中、日本の政治に怒りを感じ、医学ではなく文学を志して、帰国するや中国民衆に対して容赦ない舌鋒で、中国社会の病根を糾弾した魯迅であったが、日本の政治に対する悪感情とは別に、日本人に対しては非常な親しみを持っていたと内山氏は伝える。

 蒋介石にたてついた魯迅は、さまざまな圧力を加えられ、彼の周囲の若い弟子たちは 殺されもする。上海で10年来の友人だった内山完造氏の尽力で身を隠した魯迅は、1936年(昭和11年)、間もなく55歳という若さで亡くなっている。かかりつけの医者も日本人なら、最後を看取ったのも日本人の医者だった。葬儀に参列者に政府関係者の姿はなく、多くは学生や文壇人らであった。6000人の葬列は未曾有のものであったという。
 
 魯迅という人物は、青年時代の日本での医学留学に始まり、死に際は日本人の医者が立会となるなど、最後まで日本とはゆかりの深い作家だった。
 日中関係がぎくしゃくするこのところ、今ひとたび魯迅を振り返ってみたい。(IK)

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