福岡の人に「博多といえば?」とたずねれば、多くの人から「山笠」という答えが返って くるだろう。それくらい山笠は博多の人々の暮らしに深く根をはり、歴史とともに大切に 育まれてきた伝統行事なのだ。
地元では「山笠」と呼ばれ親しまれている博多祇園山笠は、770年の伝統を誇る博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事。博多祇園山笠振興会によると、1241年(仁治二年)、承天寺(福岡市博多区)を開山した聖一国師(しょういちこくし)が、博多の町で流行っていた疫病を祓うために施餓鬼棚(せがきだな)に乗って祈祷水をまいたのが始まり。災厄除けの祇園信仰と結びつき、博多の町の氏神である櫛田神社の奉納神事として山笠へ発展したといわれている。
1979年には、国の重要無形民俗文化財に指定。山笠は博多から日本、そして世界へと発信されていく。関西、ハワイ、オーストラリア、中国など国内外のイベントに参加し、「元気な都市・福岡」をアピール。福岡の観光にも一役買っているのだ。
毎年7月1日に福岡市内のあちらこちらに豪華絢爛な飾り山(展示用の山笠)がお目見えすると、15日間におよぶ博多祇園山笠がスタートし、福岡の町は「山笠」一色に染まる。 期間中は、締め込み姿の男衆が博多の町をかっ歩し、町内のいたるところから"オイッサ、オイッサ"のかけ声が聞こえてくる。この時期の山笠の男たちは"恋も仕事もおあずけ"というのが鉄則。恋人とイチャイチャ・・・なんて言うまでもなくご法度だし、オフィスでも、さっきまでスーツを着ていた同僚が、仕事そっちぬけで法被を着て博多の 町へ出ていった・・・というのもよくある光景だ。博多っ子が"のぼせもん"と呼ばれる理由は、山笠の男たちが大きく関係しているのは間違いない。
また、博多の町にも山笠ならではの"しきたり"が。櫛田神社の神紋と、きゅうりの切り口が似ていることから、「きゅうり断ち」と呼ばれ、期間中はきゅうりを一切食べない。子供たちの給食の献立にも、きゅうりは登場しないという徹底ぶり。一見ユニークな"しきたり"のようだが、全ては山笠が怪我なく無事に終えられるようにという願かけでもあるのだ。
そんな"のぼせもん"の山笠の男たちの熱気がピークに達するのが、フィナーレを飾る「追い山」だ。7月15日午前4時59分、1番山が櫛田神社の境内目指して突っ込む(櫛田入り)と、皆で「博多祝い唄」を合唱。その様子は壮観で、"魂がふるえる"という人もいるほどだ。その後、時間差で境内を飛び出した1番山から7番山までが総重量1tの舁き山をかつぎ、博多の町内約5㎞のコースを全力疾走。廻り止め(ゴール)までのタイムを "櫛田入り"とともに所要時間を計る。各流はその結果に一喜一憂するが、優勝旗や賞状などがあるわけではない。これも博多の男たちの"のぼせもん"気質を垣間見ることができる一面だ。追い山がスピードを競うようになった背景にも、"のぼせもん"博多っ子ならではのエピソードがある。
江戸時代、1687年正月のこと。堅町に嫁いだ土居町の花嫁が里帰りした際、土居町の若者が花婿に桶をかぶせてからかった。
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