[アジアンビート責任編集] 「マタギキ」 第一章 (2/2)
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熊本:東芝の中では異質なプロジェクトだったんです。
今までの量販店や販社を使わず、セレクトショップで売るというプランです。
一年間はダイエーとジャスコで腐っていました(笑)ただ、このままいったら、俺はやべえ…って思っていました。
この原因はダメだと思う現実を自らの力で変えることができない俺自身がダメだなと思って、何か自分自身を爆発させようと思って、二年目に自分から手を挙げて販促とか広告、PRをやりたいと志願しました。
当時新商品が出た時期で、広告や販促をかけなきゃいけなく、そのころ人気のあった水野美紀さんを起用したCMとかを作っていました。
僕その頃24、5歳だったんですけど、会議でそんなプランじゃ絶対売れませんよって生意気にも意見していました。何故、僕がそんなことを言ったのかというと、開発製造する時にはコストダウン、コストダウン…と言って何千万かコストダウンしたのに…出来上がった製品に対する広告費が『何故、何億ってあるんですか』って。
サラリーマンとしては最悪ですよね(笑)。
その時に、こんなおかしなことをするなら俺に製造開発させろって話になってしまい(笑)
開発チームのいる前で、おれに商品企画させてくれって言い放ちましたから。そんな、つい先日までダイエーやジャスコの店頭でディスプレイする毎日の俺が商品企画をプレゼンさせろと言いましたからね。
今までしたことないのに(笑)無鉄砲でした。
そこで話をしたことは、実家で東芝の製品を売っていたが、その製品を作っている人がいるというのを夢にも思っていなかったと。その製品開発までの道のりを自分なりに想像して、僕はてっきりプロジェクトXみたいに涙を流してアツく仕事に打ち込んでいる姿があると思っていた…
ところが、全て印鑑がないと全てが進まない。いつ熱い議論があるんですか?と(笑)
しかし、東芝にもプロジェクトXのストーリーが描ける商品があるんです。全自動の炊飯器なんですけど。
世界で初めて自動でご飯が炊けるっていうものを作った一家がいるんですよ。
それは東芝がつくったんじゃなくて、大田区の町工場の一家が作ったんですよ。当時東芝の営業マンがいて。
昭和30年代とかって電気屋とかないので、集会所なんかで主婦を集めて実演販売をするんですよ。
その営業マンが北海道に行ったときに来た主婦たちがみんなアカギレなんかで手がパンパンなんですよ。なぜかっていうと、みんな朝から薪に火を入れて、ご飯を炊いて、そこから主婦がスタートすると。
そこで、自動でスイッチを入れたらご飯を炊けるというものを作りたいと思って営業が企画をあげたと。そしてどんな反応をされたかというと、「日本の主婦っていうのは朝四時に起きて、ご飯の準備をするのは当然だ」と言われた。電気で自動で家事をするなんて主婦はどんでもないっていう時代ですよ。
それを東芝が作るなんてとんでもないと。東芝が動かないから、その営業は自分で町工場まで行ってこれを作ってくれと。その心意気に乗っかってその一家は家を担保に入れて二年かけて開発をして。子供たちにも過酷な実験に協力してもらいながら、炊飯器を作ったっていうプロジェクトXなんですよ。
一回目のプレゼンでこれを話したんですよ。知ってましたか?どうですかと?
それを作ることで世の中を変えられた、それを発想して自分たちでものをつくれるメーカーが、何故営業が流通に頭を下げてモノを売らなきゃいけないんですかと。なんでダイエーに行って頭下げなきゃいけないんですかって。メーカーってそんなもんじゃないんじゃないですかって。
ブランドに対する忠誠心をもう一回作らなきゃいけないんじゃないかということで。
我々の世代は正直東芝なんてダサいと思ってるし、東芝じゃないとダメだなんて思ってない。
あんたちは今後10年20年したら会社を去るかもしれないが、これから東芝で働いていく奴らとか、これから東芝に夢を持ち入社してくる奴らはどうするんですか。そこで、もう一度ブランドロイヤリティを上げるために若者に向けた商品を俺たちが作ると。タンカをきりました(笑)
小柳:そのアテハカというプロジェクトで、熊本さんとして何を変えたかったんですか?
熊本:その当時の常識だった量販店を中心にしたビジネスモデルから変えたかった。
家電業界で何が問題だったのかというと、全ての販売手法が安売り一辺倒でした。
九州で言えばヤマダ電器とかベスト電器とか、そういった量販店が主導権を握っていて、結局そこに向けた商品開発をし、値段でたたかれ、なおかつ横を見ながらシャープさんはこんな感じだから、だったら東芝は…みたいな感じですよ。
さっきの炊飯器の話とは全く違った視点でつくっているっていう状況で。
それは今でも変わらない視点ですが。
完全に流通主導でモノ作りをする。そのモデルを将来的にはメーカー主導で変えて行けるような仕組みに変えたい。このアテハカプロジェクトでは販社や大手量販を通さずに、直接ユーザーに届けること。要はメーカーが意図して作ったものを直接ユーザーに届けるという情熱の原点です。メーカーや開発サイドと同じ空気や温度を持つセレクトショップを通じた流通を開発したんです。今聞けば“ふーん”て感じですけど、当時のやってる俺らはどんでもないことをやっているんですよね。
今までの常識を一気に壊しているわけです。
熊本:その当時の常識だった量販店を中心にしたビジネスモデルから変えたかった。
家電業界で何が問題だったのかというと、全ての販売手法が安売り一辺倒でした。
九州で言えばヤマダ電器とかベスト電器とか、そういった量販店が主導権を握っていて、結局そこに向けた商品開発をし、値段でたたかれ、なおかつ横を見ながらシャープさんはこんな感じだから、だったら東芝は…みたいな感じですよ。
さっきの炊飯器の話とは全く違った視点でつくっているっていう状況で。
それは今でも変わらない視点ですが。
完全に流通主導でモノ作りをする。そのモデルを将来的にはメーカー主導で変えて行けるような仕組みに変えたい。このアテハカプロジェクトでは販社や大手量販を通さずに、直接ユーザーに届けること。要はメーカーが意図して作ったものを直接ユーザーに届けるという情熱の原点です。メーカーや開発サイドと同じ空気や温度を持つセレクトショップを通じた流通を開発したんです。今聞けば“ふーん”て感じですけど、当時のやってる俺らはどんでもないことをやっているんですよね。
今までの常識を一気に壊しているわけです。

熊本:やっぱり大手のメーカーとしてはやってはいけないタブーを数多くやってきたので、いろんな周囲との軋轢とかがあって続けていくことができなかったんですよね。
ただ、それは大企業の理論で、消費者から見れば、“家電か変わる”っていう新しいものが生まれてくるっていうのはすごくウェルカムなことじゃないですか。
だったら、それを会社の内側から変えるために東芝に残るのか…そのように考えたんですけど東芝では出来ませんでした。ただ、セレクトショップの人とかが僕のプランを応援してくれたことに申し訳なかった。その気持ちを裏切れなかったし、アテハカプロジェクトを半年で辞めちゃいますっていうのもかっこ悪いなと思いました。
当時立ち上げたアテハカでは二億円以上の在庫抱えていて、これを継続するには東芝を辞めて事業を買い取ろうかと思いました。もちろんそんなお金持っていませんよ(笑)
ある人に、何故そんなにやりたいんだって聞かれた時があったんです。
僕は家電の未来を変えたいんだって話をしました。
その時にある方から、「自分で会社作ればいいじゃん」って言われたんです。
「あ、そうか」と思って、そしてビジネスプランを書いてその人に持っていったのです。当時家電メーカーをつくるにも5億円くらいかかるのですが、その方は一億出してくれました。それからいろんな金融機関などをいろいろ回って、一億貸してくださいって(笑)もちろん、たたかれまくりました。
しかし、どんどん僕のプレゼンはブラッシュアップしていくんです。プレゼンした相手から世界中回って同じようなビジネスモデルを探してきなさいって言われたけど、僕はないですと即答するわけです。
なぜなら『家電って、日本が一番すごいから』とか言っちゃって(笑)
本当はよく分からなかったんですけどね(笑)。
そんな感じで色々と周ると、結局3億くらい集めることができて、会社をスタートすることができたんです。それが27歳で、会社をつくって一年後にオリジナルブランド『アマダナ』を立ち上げたんです。
小柳:会社つくるって、ものすごい紆余曲折があるのかなって思ってたんですけど。
熊本:僕いろんな講演会とかで言うんですけど、ビジネス立ち上げるんだったら賢くない方がいいですよと。
賢くなると、いろいろ考えすぎちゃうから。
だから、絶対若いうちがいいんです。
若くて、バカな時がいいですと。変に知識や知恵があると、結果を考えちゃうから。
起業なんて、無鉄砲じゃないとできないですよ(笑)
小柳:企業はアテハカ発売から半年後ということですね。リアルフリートが立ち上がって、アマダナができるまで一年と書かれてますが、その間何をしてたんですか?
熊本:夢を見てました、毎日(笑)。
仕事って一番利益をだしているのって、考えている時なんですよね、実は。目の前の仕事って言うのは作業なんですよ。

「ヂカギキ」当日の模様
この模様をダイジェストで合計2回にわたって「マタギキ」としてお届けします。
次回の更新をお楽しみに!
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