「鼓動」2010年3月21日
福岡が生んだ不世出の歌姫、萌えの原点、松田聖子 Part3

僕がどっぷり聖子ちゃんにはまったのは実は萌えしぐさではなくて、驚愕の歌唱力に対してである。あれぇ、こんなに歌うまかったっけ、てね。
80年代を象徴するどころか戦後を象徴する歌姫(ディーバ)だと、聖子ちゃんの全盛期の歌詞のほとんどを手がけた松本隆氏が語っている。表現力の天才だそうな。しゃべるときの声は極度にハスキー、それでいてあんなに高音が透き通るなんて普通ではありえない。どんな声帯をしてるんだろう。やはり歯医者にならないといかんな(笑)
彼女の声の倍音成分の豊かさが言われている。確かにあらゆる帯域に渡って倍音が発生しているような声質だ。ディストーションをかけたエレキギターのような声というべきか。
初期のころは、つまり、最初の一年間(「青い珊瑚礁」や「チェリーブラッサム」、「夏の扉」ぐらいまで)、コーヒーカップがずれるくらいビンビン響くパワフルで生命力に満ちた発声が売りだった。その後、「白いパラソル」、「風立ちぬ」に至り、声変わりか、喉の酷使で声をつぶしたか、一旦高音が苦しくなった。どんな苦労があったか素人には分からないが、その難局を聖子ちゃんは見事克服。新境地、透き通った高音の伸びに艶のある甘さを加味した「キャンディボイス」を手に入れることとなった。節目の名曲があの「赤いスイートピー」だ。
声質はたぶん百年に一人の天からの授かりものだろう。加えて彼女には、地声でD5(高いレ)を超える高音域のコントロール、激しく上下跳躍するメロディラインも楽々とこなす音程の確かさ、バックバンドのおじさんたちもノリノリになるグルーブ感など、単なるアイドル歌手ではありえない歌唱力があった。聖子ちゃんによって確立された例のしゃくり上げ唱法(あ~、わたーしーのぉ↑の部分)は、曲調の上で少女の可憐さ、健気さを表現するスタンダードとなった。スローなバラードも実に聞かせる。ビブラートの豊かさは聴く者にさあ泣けと言わんばかりだ。実はシングルA面曲よりも、B面曲やアルバム収録曲に彼女の歌唱力の真骨頂がある。
じっくり聞けば聞くほど彼女が不世出のボーカリストだったことを思い知らされる。しかも、ときに激しくステップを踏み、ときにクネクネとしなをつくり、満面の笑み、泣き顔、すねた表情などを効果的に絡ませながら聴衆を聖子ワールドに引き込んでいくのだ。これぞアイドルの仮面を被った天才ボーカリスト、萌え歌唱の家元である。
当時、聖子ちゃんに対しては、「可愛いけど歌は下手」みたいな評価があった。あんだけ可愛いんだから歌は下手なはず、という変なバランス思考が働いたのか、ライバル事務所の風説の流布か。もし聖子ちゃんが可愛くなければ実力派歌手のカテゴリーだったはず。人を見かけで判断してはいけない。いずれにしろ当時の評者は猛省すべし。さあ心して聞け! 日本文化の爛熟期80年代に、不世出の歌姫は確かに存在したのだ! 容姿、声質、歌唱力、表現力、天は聖子ちゃんに二物も三物も与えたもうた!・・・つづく(耽介)
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