「鼓動」2010年6月2日
夜の蝶

その中の一篇『夜の蝶』。
晋の時代のことである。葛輝夫(カツキフ)という人が、あるとき妻の実家に泊まった。夜半胸騒ぎがして眼を覚まし、眠れず庭と茫然と眺めていると、二つの光の玉がゆらゆらと近づいてくるのが見えた。
眼を凝らすと、光は二人の男が灯を持っているのだった。「こんな刻限に・・」と見る間に二人は縁先まで近づいてくる。
「賊め!」
輝夫は杖をとると、進み出て打ちかかった。と、振り下ろした刹那、二人は蝶に変わっていて、ひらひらと舞い散った。
その一匹の蝶が輝夫の腋の下に触れると、輝夫はばったりと倒れ、ほどなく息が絶えてしまった。
唐突にして笑止な話である。が、伸坊先生の言うとおり、なぜか気になる。腋の下だから余計気になる。腋の下というのは甚だ妖しい部位なのだ。そこに蝶が止まるという。
この話を覚えていたから、九州国立博物館で、昨年あった阿修羅展では、自ずと腋の下に眼が行った。美しきひそみを持つ美少年の細くしなやかな六本の手。当然たくさんの腋の下を持っている。じっと凝視する阿修羅の腋。するとそこに美しく艶やかな蝶が俄かに現れるや阿修羅の腋の下にひたと止まった。その刹那、ああ、と呟いたのは私の方だった。
中国の怪異譚。理に落ちず、唐突でむしろあっけないのだが、言いようもない不思議な魅力を有している。(IK)