「鼓動」2010年6月23日
落花時節 又た君に逢う(R45)

著者の吉川幸次郎さんは、唐詩の訓古のみならず、詩人たちの世界観にも解説を加え、ずぶの素人にとってありがたい水先案内人だった。杜甫の誠実さも李白の情熱も、この本から教えてもらった気がする。
『新唐詩選』の最初のほうに杜甫の「江南逢李亀年」という七言絶句があった。
杜甫は、玄宗皇帝の宮廷に仕えた音楽家の李亀年に、安禄山の乱の後、江南の地で再びめぐり逢うが、そのときの心境を詠んだものだった。
かつて皇帝の寵愛を集め、栄光の中で華やかに歌っていた李亀年。まだ年少であった杜甫は玄宗の親王の催すサロンで彼の姿を眼にし、その美声を耳にする。李亀年も、しがない書生であった杜甫も、幸福の時代の中にあった。
詩の後半二行は、過去の追憶から現在へと移り、そして転調する。
「正に是れ江南の好風景 落花の時節又た君に逢う」
あれから長い年月が過ぎた。今我々の目の前にあるのは、江南の明るい光とさわやかな風に満ちた風景だ。そう、ここは昔君と会った都の風景ではない。しかも、いま季節は甘美な落花の頃ときている。落魄の二人の思わぬ再会。このとき杜甫は58歳。
かつて、この季節は二人にとっても純粋な歓楽の季節だった。今は・・・。
「いや今も、君は落花の下で、むかしと変わらない美しいバリトンで、歌っている、けれども。」と吉川さんはそう書く。
杜甫の一篇の詩をめぐって、吉川さんの激情がほとばしる。(IK)