「鼓動」2010年8月2日
夕顔納涼図屏風

屏風図右手には、粗末な家の庇に連なって夕顔棚が張り出していて、その軒端の下にはムシロが敷かれ、親子三人が寛いでいる。
百姓なのか、町民なのか、また描かれている女が妻なのか娘なのか、判然としないところもあるが、家族仲良く夕涼みしている。
父親はフンドシにカタビラ姿で頬杖をついて寝そべっている。
座っている若い娘は腰巻一枚で背中には長い髪を垂らしており、幼い息子のほうは汗取りのカタビラを着ているものの、片肌ははだけている。
一見すると家族水入らずの安穏とした納涼の図であるが、この絵にはそこはかとない寂しさが漂っている。
屏風の左には、白い満月がぼんやりと闇に溶けるように浮かんでいる。
暑かった一日、大地のほてりがまだ冷めない夕べ。三人は吹いてきた涼しげな風に身を任せながら遠くを眺めている。
けれども彼らが見ているのは月ではなさそうだ。はるか遠くのなにものかを眺めているかのようだ。晩年の守景は家族と離散している。
この絵の中で、かつて過ごした家族との日々を追憶しているのかもしれない。
淡墨を基調とした優しくやわらかな筆遣いは、寛いだ雰囲気の中にも寂莫たる詩情を醸している。
あるとき、この屏風図を思い起こしながら、夏の夕暮れ時のこの親子の光景は、日本に特有のものでなく、広く東アジアのいたるところに見られた家族の光景のひとつのように思えた。
アジアの懐かしい家族の原光景。だが、その表現方法において日本人は、特有の繊細な美意識を働かしたようだ。(IK)