「鼓動」2010年8月11日
タイムカプセル

その定礎式に、当時の建築関係者が庁舎玄関車寄せの柱の下に、弁当箱大の金属製のタイムカプセルをコンクリートで固めて収めていた。このことに関して県庁の公式記録はないようだ。ただ、当時一部の新聞では、そのことに触れた記事が掲載され、密かに関係者の間では記憶されていたらしい。
それから、70年たった1983年(昭和58年)8月11日の新聞に、県庁舎の解体工事で幻のタイムカプセルが発見されたという記事が掲載された。
取り出されたタイムカプセルには、定礎式のあった1913年8月当時の貨幣などのほかに、新聞も収められていた。
新聞には、「風雲急を告げる」と題して、第1次世界大戦前夜の緊張を伝える記事もあった。当時列強は中国をはじめアジアでの利権拡大を目指していた。一方、そうした動きに対して民族運動も激しくなっていた。
中国では「辛亥革命」後の「第二革命」で袁世凱に敗北した孫文が1913年8月日本に亡命している。孫文は前年には国賓として日本を訪れているが、今度は亡命者としてであった。アジアを舞台にした列強の覇権争いに日本も無関心ではいられなかった。旧県庁舎建設当時、時代はそうした状況にあった。
ちなみに、孫文と福岡は縁が深いことは良く知られている。
100年後の現代の日本とアジア。この一世紀の間に、世界に占める地位も役割も格段に大きくなっている。(IK)