「鼓動」2010年10月6日
秋刀魚の歌

サンマが秋の味覚として広く知れ渡ったのは、大正になってからのことらしい。 漁法が発達して、漁獲量が増えたことで、庶民の食卓に上るようになった。「あはれ 秋風よ 情あらば伝えてよ」とはじまる佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の登場もサンマが庶民の味として広まったことの反映だろう。
かつては、表通りから裏路地に入れば、家々の勝手口の近くでサンマを焼く光景にぶつかった。どこの家庭でも七輪の上に金網を載せ、サンマを並べて焼いていた。サンマの脂は炭に滴り落ち、もくもくとけぶり、サンマを燻した。夕暮れの気配とともに、あたりに立ち込める煙と匂い。遊び呆けていた少年たちもそろそろ帰宅しなければならない気持ちになったものだ。
サンマの記憶は、昭和の暮らしの記憶に結びついてどこかノスタルジックだ。(HR)