「鼓動」2010年10月26日
鰯雲

人間探求派と呼ばれた俳人加藤楸邨(しゅうそん)に、有名な次の句がある。
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
明るい空にさすらうかのような鰯雲を見上げながら、作者は決然とした思いを抱いている。
空に広がる鰯雲の開放感と作者の何事か固く思い定めた感じのコントラスト。
しかし、作意の真意はどこに根ざしているのか、核心にはいまだ触れていないというもどかしさも感じる。とはいえ、このあいまいさを残した大きな句には読み手の自由な解釈も許されるのだろう。
青年の若々しい気負いもはらんだストイシズム。秋の空に鰯雲を見つけると、この句がふいに口を突いて出てくることがある。五十男にもそれなりの感慨はあるものだ。
鰯雲で、今一つ思い出すのは、友岡子郷(しきょう)という方の句だ。
鰯雲三日あけたる家の上 友岡子郷
数日間留守にしていた自宅の上空に鰯雲が広がったのを発見し、見慣れた家にもかかわらず、別の印象を覚えたのだろう。それは、鰯雲のかもし出すさすらいのイメージがそうさせたのかもしれない。いまだどこか旅の途上にあるような少し不思議な体験。
そんなことを思いめぐらしていたら、映画に登場するフーテンの寅さんを思い起こした。
寅さんもまた、漂泊の心からぷらりと旅に出るのだが、久しぶりに帰った柴又の空に鰯雲を見つけたとき、旅をしているのはなにも自分ばかりではないんだ。この町すらも、天と地の間を時とともに旅しているんだなぁ・・・。などと思ったりするだろうと勝手に想像したりした。
見ていて厭きることのない鰯雲。どこか旅にでも出ようかなぁ(HR)