「鼓動」2010年12月2日
初冬・不忍池界隈

昨年、11月の終わりだっただろうか。上野の不忍池あたりを散策できる時間があった。東京文化会館の裏手の「正岡子規記念球場」を訪れると、人影はなく、紅葉した木々に囲まれた球場はひっそりとしたたたずまいだった。球場のわきには、子規の句碑があって、
春風やまりを投げたし草の上
と刻まれていた。子規は、明治19年から23年の間にしばしばこの上野で野球をしている。根っからの野球好きだったようだ。司馬遼太郎は、「野球」という言葉も子規が考案したかのように書いているが、どうもそれは違うようだ。ただ、「打者」「直球」といった翻訳語は間違いなく子規によるもので、子規は野球を紹介するために、新聞に何度も書き、その功績もあって、平成14年に野球殿堂入りしている。
上野公園を過ぎ、破れ蓮の広がる不忍池を抜けてしばらく歩くと、三菱財閥を起こした岩崎弥太郎一族の旧邸が保存公開されている。明治29年に完成した当時は敷地面積15000坪の広大な土地に20あまりの棟があったようだが、今はわずかに洋館や和室や撞球場が残っているばかりだ。設計は、鹿鳴館やニコライ堂を設計したお抱建築家のジョサイヤ・コンドルだ。敷地の入り口には、イチョウの巨木がちょうど黄葉していた。気象庁が毎年観測しているイチョウの黄葉は、この50年間で16日遅くなっているというが、たしかにそんな気もする。
それはともかく、岩崎旧邸のこの大きなイチョウの木は樹齢800年という老木で、地上で二股に分かれた二本の幹はそのままぐんと天高く伸び、いずれの枝々にも黄色い葉を密に茂らせている。その姿は神々しく威厳に満ちていた。初冬の高く澄み切った青空に、まるで花火のように、ぱあっとさく裂した黄葉のイチョウの威容を仰ぎ見て、おもわず賛嘆の声をあげたほどだ。
最近福岡でイチョウの黄葉をみるにつけ、旧岩崎邸のイチョウの巨木の黄葉を思い出す。(HR)