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故・畑中純先生を偲ぶ(6/8)
長谷川法世先生: 漫画を描き始めたとたんに、子ども向けに描こうとおもっても、あーセリフが難しいとおもい、東京風の公用としての、いわゆる漫画言葉ですね。一般的には標準語と言ったりするのだけど、そういのが使えないんですよ。描いていると恥ずかしいというか、気恥ずかしくなる。自分は違うんだよなあって。「パパ、ご飯だよ」とか、描けないんですよ。「とおちゃん、飯ばい」って言ったほうが。そういう言い方じゃないと、虫唾が走るんです。それで、すぐに博多弁で漫画描いたらすぐに描けるっちゃけど、っておもいましたね。でも無理だなあってもおもいながら、編集者のところへ行って、多分、誰が方言の漫画なんか読むねっておもいながらだったでしょうね。畑中純先生: そういう時代でした。
長谷川法世先生: で、それでも、博多弁漫画を描いたんですよ。きっかけもあって。当時中堅の下ぐらいだったかな。一番になるにはどうしたらいいか。その当時、一番には手塚治虫さんがいて、『火の鳥』とか、これは無理だ。野球漫画も水島新司さんがいて、これも無理だ。漫画本をならべて、目次からジャンルをずっと書いていった。これも負ける、これも負けると。結局、書いても、どれを比べても最後まで負けだった。なあにも、ないやないかと。自分は落ち込んだ。そんときに、すっと浮かんだのが、博多漫画やったら誰も描いとらん。1本描いただけでオーソリティになれるって。
宮本大人氏: 当時の背景は、高度成長も終わり、都市再生だとか言われてましたよね。
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