「鼓動」2010年2月9日
ホールデン・コールフィールド

カルチャーの根源が個人の好きで好きで好きでたまらないだとか、どうにも身体から削ぎ剥がすことができない衝撃だとか、対象と自分とどっちがどっちだかわからない一体感だとすれば、僕にとって「ライ麦」はやっぱりそのひとつで、夢中になってがむしゃらに読んだ経験は多くの人と共有するものだと思う。
10代で読んだ時の一体感。これはまあ、どうでもいい。問題は10年ほど前にもう一度読んだ時の衝撃。鳥肌を立てながら呼吸を止めて明け方に一気に読んだ。読み終えると充足感はたちまち冒頭の絶望感に変わっていく。数日間鈍痛として抱え込んでしまった。
ホールデンの潔癖で世間知らずな独断ぶり。なぜ多くの人が彼の語り口に浸り続けるんだろう。それはうそ臭いものにきっぱり見切りをつけて真実を追い求めること、純粋に心に叩きつけるものをひたすら追い求めることへのノスタルジーなんじゃないかな。
僕はホールデンの主張のせいで映画も見なくなってしまった。(Iw.)
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