「鼓動」2010年6月9日
ダグラス・ダン『ひそやかな村』

ヨーロッパ各地の静かな村々に住む少しばかり変わった人々の心の風景を、やわらかな皮肉とユーモアで淡々と描き出す。その薄味の上品な味付けに読者は微苦笑し胸を打たれる。
その中の一篇「カヌー」は、美しい湖のあるひなびた観光地が舞台である。
観光地を訪れるイギリス人の金持ちたちが抱く幻想とは裏腹に、観光地の地元の人間たちは善人でもなく、時間を気にしないのんびりとした生活など送っていない。むしろ、せこくずるく、金持ちの観光客に対して反感すら持っている。作者は皮肉たっぷりに村人たちの生態を描いて小気味良い。
が、この作品の味わい深さの所以はそれからだ。語り手である「私」は、自由を謳歌するようにアウトドア・ライフを楽しむ、一組の若夫婦に対して賛嘆と憧れを抱くことになる。
最新流行の服を着こなす健康的な若い男女。
別世界に住む二人の、自由で、生き生きとして、屈託のない若さ。そんな二人によく似合っているカヌー。黄昏どきの美しい湖面をカヌーで進む二人を見ると、「私」はなんとも言えずいい気分になり、そして悲しい気分になる。作者は語り手の眼差しを通して、人生の機微を絶妙にさりげなく掬(すく)う。
イギリスの田園小説の流れを汲むが、古さなど感じない。むしろ現代的な味付けも施された滋味豊かな大人の小説という趣である。(IK)