「鼓動」2010年8月23日
マンションの夏祭り

今年は8月7日がそうだった。
400世帯を数えるわがマンションでも、前庭の広場と駐車場を使って、櫓のステージが組まれ、テントが張られ、パラソルが立って、恒例の夏祭りが開かれた。
蒸し暑かったその日は夕暮れになって、雨が振り出した。
はじめポツポツとした雨脚は、やがてスコールのように激しく斜めに降った。
始まったばかりの夏祭り。あわてて模擬店のテントに避難する世話役と加勢の人たち。そして住民の多くは玄関ホールへと逃げ込んだ。
降りしきる夕立が、青く煙るように街全体を包んでいるのが、戻った自宅のベランダから見えた。大地のほてりを一挙に冷ますかのような雨だった。
通り雨は20分ほどで上がった。
あたりは生気を取り戻したようだった。夏祭りは再開された。
「炭坑節」や「熊ちゃん音頭」などを婦人部や子供たちが輪になって踊り、ゲスト出演の沖縄のエイサーの踊りが披露され、ラムネの早飲み競争、ビンゴゲームへと続く。ラストはいつもの空くじ無しの福引である。
こうして祭りが終わったのは、10時近かった。
どこにでもあるごくありふれた地域の夏祭りである。伝統的文化行事でもなく、また外から大勢の人たちが来る訳でもない。
マンションの夏祭りが始まったのは、30年ほど前、新たなコミュニティを形成したばかりの住民たちが始めたものだ。いわば交流の場としての夏祭りである。いまでも、この日ばかりはほとんどの住民が参加する。
分譲マンションはすでにシニア層の比重が高くなっている。かつて働き盛りの40歳代でマンションを購入した人たちも、いまや70歳代である。
が、夏祭りは、老若男女、住民ほぼ全員が参加するのは、毎年変わらぬやり方で開催され、住民たちに夏のささやかな思い出として記憶され続けているからであろう。(HR)