「鼓動」2010年7月14日
‘宮沢賢治’を忘れた日本人

ブラジルから福岡に留学していた日系3世の若者とおしゃべりをしていて、彼がふと漏らした一言だ。20年以上も前のことになるが、今でも時おり思い出す。
バブルの名残はまだ日本社会を席巻していて、マンションが考えられない価格で取引され、ゴッホの「ひまわり」が日本の企業によって競り落とされたというニュースが喧伝されていた。
海外のブランド店に押し寄せる日本人の姿が、様々なメディアに取り上げられたのもこの頃だ。
故郷岩手の地を深く愛し、一生を清貧のうちに生きた宮沢賢治は、彼にとって理想の日本人、良き日本を象徴する存在だったのではなかろうか。
決して堪能な日本語をしゃべる人ではなかったが、彼の発した言葉は、ことの本質を正しく、的確に言い当てていて、どんな理屈や評論よりも、心に響いた。
名前も忘れてしまったが、「宮沢賢治」と聞くと、黒縁めがねをかけた彼を思い出す。
今頃、どこで、どんな日本を見つめていてくれるのだろうか。(M)