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[Kobori のバンコクレポート] タイで新進気鋭の「落水透世」アーティストが個展開く
「素の自分を出していきたい」
「落水透世(らくすい・すきよ)」という画法をご存知だろうか。日本伝統の和紙を用い、描いた絵に間接的に水を落として模様を描くオリジナル技法。この新しい技術を使って日本のみならず海外で個展を開いている日本人アーティストがいる。岐阜県美濃市出身の「けみ・芥見(あくたみ)」さん。その新進気鋭の画家が、このほどバンコクのギャラリー「GALLERY21」でタイ初の個展を開いた。その様子を取材した。
漉いて出来上がった和紙に、パステル調を思わせる鮮やかな色彩。「浮世絵をモチーフにした」(けみさん)という作品は明るく、それでいて爽やかで、まさに「新時代の浮世絵」と呼ぶに相応しい内容だった。展示された作品は大小さまざま計50点余り。けみさん自らが和紙を漉き、自ら描いた。



母親が芸術家だったというけみさんだが、幼少の頃の画作は趣味程度。「子供のころはわんぱく、その後は破天荒に生きました」と、作品とは無縁の暮らしをしていた。転機は32歳の時。人生を見つめ直したかった。考えた末に出した結論は絵を描く、アーティストとしての再出発だった。
母親の影響もあったのかもしれない。「綺麗な絵を描きたい」とこだわりを重ねた。ありきたりのキャンバスでは納得ができない。木に描いてみたり、石に描いてみたり。結果、辿り着いたのが、生まれ故郷の特産品「美濃和紙」だった。
漉く技術を体得しようと、美濃和紙伝統工芸士の師匠の下に弟子入り。「今も修業中」と話す。自分で漉いた和紙に、自らが編み出した「落水透世」の技法を用いて作品が完成した時、個展を開きたいと考えた。真っ先に向かったのはフランス・パリのマレ地区。知り合いもない、コネもない。やり遂げた結果が自信となった。
漉いて出来上がった和紙に、パステル調を思わせる鮮やかな色彩。「浮世絵をモチーフにした」(けみさん)という作品は明るく、それでいて爽やかで、まさに「新時代の浮世絵」と呼ぶに相応しい内容だった。展示された作品は大小さまざま計50点余り。けみさん自らが和紙を漉き、自ら描いた。



母親が芸術家だったというけみさんだが、幼少の頃の画作は趣味程度。「子供のころはわんぱく、その後は破天荒に生きました」と、作品とは無縁の暮らしをしていた。転機は32歳の時。人生を見つめ直したかった。考えた末に出した結論は絵を描く、アーティストとしての再出発だった。
母親の影響もあったのかもしれない。「綺麗な絵を描きたい」とこだわりを重ねた。ありきたりのキャンバスでは納得ができない。木に描いてみたり、石に描いてみたり。結果、辿り着いたのが、生まれ故郷の特産品「美濃和紙」だった。
漉く技術を体得しようと、美濃和紙伝統工芸士の師匠の下に弟子入り。「今も修業中」と話す。自分で漉いた和紙に、自らが編み出した「落水透世」の技法を用いて作品が完成した時、個展を開きたいと考えた。真っ先に向かったのはフランス・パリのマレ地区。知り合いもない、コネもない。やり遂げた結果が自信となった。





日本にいる時は主に作品作り。年に数回は海外を回り、個展を開催している。訪ねる先々で出会いがあるが、イタリアでは「ずっこけた」経験も。浮世絵ぐらいは知っているだろうと思っていたところ、「知っているのは忍者、中田、長友だけ」。おまけに掛けられた言葉は「ブルース・リー!ブルース・リー!」だった。
バンコク開催は、知人の紹介から。初めてのタイだが、降り立ってすぐに「いけるじゃん」と感じた。在住日本人も多く、タイ人もアットホームで優しく接してくれる。タイでの再会を約して、今回の個展を終えた。
アーティストとして絵を描き始めた時、師匠から「みんな白人の顔に見える」と言われたことがある。衝撃だった。知らず知らずのうちに、自分自身の身体に「西洋」が刷り込まれていたのを感じた。これでいいのか、悩みもあった。そうした中で出した結論は「これで行くしかない。これが今の自分だ」だった。
だから、今はアジアにこだわっている。「自分は日本人であり、アジア人。どこまで通じるか。どこまでメッセージを伝えられるか。開き直って、素の自分を出してきたい」
外部リンク
海外情報員 Kobori 氏 プロフィール
