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[Kobori のバンコクレポート] バンコク名物「屋台」が消える日
圧倒的な熱気が人々を魅了し、外国からの旅行者をも虜にしているタイ・バンコクの「屋台」
タイ・バンコクの名物と言えば、駅前や繁華街、街角という街角で見かける「屋台」。バンコクだけでもその数、十万、数十万とされ、確かな数字さえも分かっていない。安くて、早くて、うまい。それに加えて、圧倒的な熱気が人々を魅了し、外国からの旅行者をも虜にしている。ところが、今、バンコクの多くのエリアで、こうした屋台が次々と減ってきているのをご存じだろうか。バンコク名物「屋台」が消える日。考えたこともないような事態が起こっている。

▲現地の人々にとって屋台は貴重なライフラインだ(スクンビット通り)
繁華街やオフィス街、歓楽街が広がるバンコクのスクンビット通り。南北に向けて枝分かれするソイ(小道)奇数側の北側一帯を中心に、ついこの間まで無数の屋台があったことで知られる。日が暮れる頃になると、付近一帯はどこからともなく土産物や雑貨などの屋台が姿を現し、お気に入りの品を探す旅行者などでごった返すようになる。一転するのは夜11時頃だ。雑貨などの屋台は一斉に店仕舞いを始め、辺りは「夜」の装いに。東北タイの鍋料理「チムチュム」を提供する店やネオンで彩られたカウンターバー、ラオスの若い女性が営業する店、ウガンダから来たという黒人女性も街角に立って、ディープな街へと姿を変える。

▲旅行客らに密かに人気だった屋台群(スクンビット通り)
ところが、一昨年(2015年)末以降、これら一帯の路上営業が段階的に禁止され、屋台という屋台がすっかり街から消えてしまったのだ。スクンビット通りだけではなく、欧米系の旅行者が多く銀行の本店などが建ち並ぶシーロム通りや商業地サイアム・スクエアの一帯、王宮周辺から中華街にかけて、さらには近年中国からの旅行客が増えているホイクアンといったやや郊外のエリアもその数19エリア。これまでに消えた屋台の総数は1万とも2万とも言われている。

▲夜になると「にわか理容店」も出現する(王宮前)
ムスリムが多く暮らす深南部パッタニー県から出稼ぎに来ていた屋台バーの雇われマダム、ポンさんも立ち退きを求められた一人だ。もともとは、スクンビット21のアソーク交差点で深夜、バーの経営を任されていたが、反政府勢力によるバンコク都内の閉鎖によって長期休業を余儀なくされることに。2014年1月下旬のことであった。

▲イルミネーションとのコントラストが美しい(王宮前)
3月になって店を再開しようとしたが、オーナーから休業に伴う損失の補填を求められた。当然に支払えない。すると、オーナーはそれを理由に契約を解除。一瞬にして仕事を失った。故郷に幼い男の子を残したポンさん。そうした頃、救ってくれたのが旧知の仕事仲間だった。同じ通りの少し離れたバーで一従業員として働いていたところ、今度はそのバーが立ち退きの対象に。

▲会計時にお札を運ぶ犬も人気だった。(スクンビット通り)
土産物から時計、眼鏡、医薬品、衣類まで何でもそろうほか、だいたいのタイ料理や酒も飲むことができた名物の屋台。それが次々と消えていく現状を憂慮する声は絶えない。長い年月をかけて培ってきた屋台文化が失われるとしたら、その損失は決して少なくないだろう。

繁華街やオフィス街、歓楽街が広がるバンコクのスクンビット通り。南北に向けて枝分かれするソイ(小道)奇数側の北側一帯を中心に、ついこの間まで無数の屋台があったことで知られる。日が暮れる頃になると、付近一帯はどこからともなく土産物や雑貨などの屋台が姿を現し、お気に入りの品を探す旅行者などでごった返すようになる。一転するのは夜11時頃だ。雑貨などの屋台は一斉に店仕舞いを始め、辺りは「夜」の装いに。東北タイの鍋料理「チムチュム」を提供する店やネオンで彩られたカウンターバー、ラオスの若い女性が営業する店、ウガンダから来たという黒人女性も街角に立って、ディープな街へと姿を変える。

ところが、一昨年(2015年)末以降、これら一帯の路上営業が段階的に禁止され、屋台という屋台がすっかり街から消えてしまったのだ。スクンビット通りだけではなく、欧米系の旅行者が多く銀行の本店などが建ち並ぶシーロム通りや商業地サイアム・スクエアの一帯、王宮周辺から中華街にかけて、さらには近年中国からの旅行客が増えているホイクアンといったやや郊外のエリアもその数19エリア。これまでに消えた屋台の総数は1万とも2万とも言われている。

ムスリムが多く暮らす深南部パッタニー県から出稼ぎに来ていた屋台バーの雇われマダム、ポンさんも立ち退きを求められた一人だ。もともとは、スクンビット21のアソーク交差点で深夜、バーの経営を任されていたが、反政府勢力によるバンコク都内の閉鎖によって長期休業を余儀なくされることに。2014年1月下旬のことであった。

3月になって店を再開しようとしたが、オーナーから休業に伴う損失の補填を求められた。当然に支払えない。すると、オーナーはそれを理由に契約を解除。一瞬にして仕事を失った。故郷に幼い男の子を残したポンさん。そうした頃、救ってくれたのが旧知の仕事仲間だった。同じ通りの少し離れたバーで一従業員として働いていたところ、今度はそのバーが立ち退きの対象に。

土産物から時計、眼鏡、医薬品、衣類まで何でもそろうほか、だいたいのタイ料理や酒も飲むことができた名物の屋台。それが次々と消えていく現状を憂慮する声は絶えない。長い年月をかけて培ってきた屋台文化が失われるとしたら、その損失は決して少なくないだろう。
海外情報員 Kobori 氏 プロフィール
