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[Kobori のバンコクレポート] タイ・イサーン地方の村を訪ねて/現地の民家に泊めてもらった!
村長の奥さんが服を乾かすようにと筆者の手を引き自宅に案内してくれた。
タイ東北部イサーン地方は、現在のラオスとルーツをともにする人たちが住んでいる地域。人口は約2,700万人とタイの地方区分最多。そのイサーンの片田舎の村を訪ねる機会があった。

▲大きなガソリンスタンドは都市近郊にしかない。こまめに給油。
4月半ば、タイ旧正月のソンクラーンにそのチャンスは巡ってきた。シーサケート県を通過した時のことだった。ウボンラーチャターニー空港で借りたレンタカーを運転して山から下りる途中、スマートフォンのナビゲーションがこの村を知らせてくれた。人口約200人の小さな村。ここでも新年を祝う水掛の祭りがわずかに行われていた。

▲一歩路地に入ると未舗装の赤土が続く。
ほんの少しだけ立ち寄るつもりだった。村の入り口付近に車を止めた筆者は、カメラを片手に気ままな散策。イサーンのソンクラーンを数枚撮影して車に戻るぐらいに考えていた。ところが、そこへ木造住宅の陰から数人の子供たちが姿を現した。バンコクなど都会の子供と同様に手にはプラスチック製の小さな水鉄砲を構えていた。

▲この子が村長の孫娘ミンちゃん。よく見ると裸足だ。
カメラが濡れてはかなわないと、咄嗟に降参のポーズをして許しを乞うた。それでも、一番小さい未就学児と思われる女の子は笑って筆者に水を掛けてきた。年上のお姉さんと思しき女の子が制したが間に合わなかった。幸いに間一髪でカメラへの被災は避けることはできたが、服は上下ともにすっかり濡れてしまった。

▲お姉ちゃんのポーちゃんはお母さんのお手伝い。
無邪気な女の子は満面笑みで、こちらの表情も緩む。後で分かったが、村長の孫娘だった。日本人が珍しいようで、人が人を呼び、瞬く間に20人ほどが集まってきた。口々に新年を祝い合っている。そのうちに、村長の奥さんが服を乾かすようにと筆者の手を引き自宅に案内してくれた。
服が乾くまでということだったが、成り行きでこの家にご厄介になることになった。「今日は正月だからご馳走だ」と村長は言う。鳥や豚肉をタレに漬け込んだものを焼く係が私に回ってきた。鶏やアヒルが放し飼いになっている庭で、七輪の火でせっせと焼いた。イサーンの村では年功序列が大原則。焼いた肉は、村長からご近所の老人たちへと配られていった。

▲鶏やアヒルも飼っている。
村にはわずかな電気が届いているものの水道はなく、雨水を瓶に貯めて、飲料は濾過して使っている。プロパンを含めガスもなく、火力は七輪が原則だ。だが、村長の家にはバーベキュー用の古い電気グリルが一台あった。正月だからこれを使おうと引っ張り出してきたのだが、しばらく使っていなかったらしく電源を入れた途端、ヒューズが飛んだ。
昼過ぎから飲み続け食べ続けで、夕方早くに正月一日目は終わった。食後は、村長宅の孫娘たちが遊んで遊んでとせがんでくる。ハンモック遊びを教えてもらったお返しに、鬼ごっこを繰り返しして楽しんだ。

▲これがハンモック。
夜間は、客人だからと、蚊帳の下がった寝床を提供してくれた。村長一家は大部屋で川の字になって寝息を立てている。さすがに恐縮して、あまり眠れなかった。熟睡できぬまま鶏の鳴く声で目が覚めた。朝4時少し過ぎだった。

▲村長宅。こちらにご厄介になった。
翌日は朝飯を済ますと、村長の娘や隣家の住人たちと街に買い物に行った。レンタカーの筆者が運転手役を買って出た。一家に一台の車があるわけではなく、買い物の際は乗り合いで出かけるのだという。村で手に入らない野菜や乾物、乳製品、家庭用品などをしこたま買い込んでいた。村の住人の職業は農家が最も多く、ある程度の野菜と豚や鶏、アヒルなどは自給できても、生活物資は定期的な調達が必要だった。

▲自宅には椰子の木がある。
街のスーパーマーケットは大きかった。買い物を待っている途中で、売り場の片隅に調理器具が陳列されているのを見つけた。近寄ってみると、昨日村長宅で壊れた電気グリルがある。炊飯器も数ヶ月前に壊れたと話していた。いずれも単機能で値段もそれほど高くない。泊めてもらったお礼に電気グリルと炊飯器をプレゼントすることにした。村長の奥さんは要らないと言っていたが、最後は快く受け取ってくれた。

▲ドリアンの木もある。
結局、村を出たのは2日目の間もなく陽が落ちようとするころ。子供たちが名残惜しそうに、遊んで遊んでと服を引っ引っ張っていた。村長一家に深く深く礼を言い、レンタカーで出発した。イサーン地方の村にある現地の民家に泊まる旅はこうして終わった。いつまでも手を振る子供たちが印象的だった。

4月半ば、タイ旧正月のソンクラーンにそのチャンスは巡ってきた。シーサケート県を通過した時のことだった。ウボンラーチャターニー空港で借りたレンタカーを運転して山から下りる途中、スマートフォンのナビゲーションがこの村を知らせてくれた。人口約200人の小さな村。ここでも新年を祝う水掛の祭りがわずかに行われていた。

ほんの少しだけ立ち寄るつもりだった。村の入り口付近に車を止めた筆者は、カメラを片手に気ままな散策。イサーンのソンクラーンを数枚撮影して車に戻るぐらいに考えていた。ところが、そこへ木造住宅の陰から数人の子供たちが姿を現した。バンコクなど都会の子供と同様に手にはプラスチック製の小さな水鉄砲を構えていた。

カメラが濡れてはかなわないと、咄嗟に降参のポーズをして許しを乞うた。それでも、一番小さい未就学児と思われる女の子は笑って筆者に水を掛けてきた。年上のお姉さんと思しき女の子が制したが間に合わなかった。幸いに間一髪でカメラへの被災は避けることはできたが、服は上下ともにすっかり濡れてしまった。

無邪気な女の子は満面笑みで、こちらの表情も緩む。後で分かったが、村長の孫娘だった。日本人が珍しいようで、人が人を呼び、瞬く間に20人ほどが集まってきた。口々に新年を祝い合っている。そのうちに、村長の奥さんが服を乾かすようにと筆者の手を引き自宅に案内してくれた。
服が乾くまでということだったが、成り行きでこの家にご厄介になることになった。「今日は正月だからご馳走だ」と村長は言う。鳥や豚肉をタレに漬け込んだものを焼く係が私に回ってきた。鶏やアヒルが放し飼いになっている庭で、七輪の火でせっせと焼いた。イサーンの村では年功序列が大原則。焼いた肉は、村長からご近所の老人たちへと配られていった。

村にはわずかな電気が届いているものの水道はなく、雨水を瓶に貯めて、飲料は濾過して使っている。プロパンを含めガスもなく、火力は七輪が原則だ。だが、村長の家にはバーベキュー用の古い電気グリルが一台あった。正月だからこれを使おうと引っ張り出してきたのだが、しばらく使っていなかったらしく電源を入れた途端、ヒューズが飛んだ。
昼過ぎから飲み続け食べ続けで、夕方早くに正月一日目は終わった。食後は、村長宅の孫娘たちが遊んで遊んでとせがんでくる。ハンモック遊びを教えてもらったお返しに、鬼ごっこを繰り返しして楽しんだ。

夜間は、客人だからと、蚊帳の下がった寝床を提供してくれた。村長一家は大部屋で川の字になって寝息を立てている。さすがに恐縮して、あまり眠れなかった。熟睡できぬまま鶏の鳴く声で目が覚めた。朝4時少し過ぎだった。

翌日は朝飯を済ますと、村長の娘や隣家の住人たちと街に買い物に行った。レンタカーの筆者が運転手役を買って出た。一家に一台の車があるわけではなく、買い物の際は乗り合いで出かけるのだという。村で手に入らない野菜や乾物、乳製品、家庭用品などをしこたま買い込んでいた。村の住人の職業は農家が最も多く、ある程度の野菜と豚や鶏、アヒルなどは自給できても、生活物資は定期的な調達が必要だった。

街のスーパーマーケットは大きかった。買い物を待っている途中で、売り場の片隅に調理器具が陳列されているのを見つけた。近寄ってみると、昨日村長宅で壊れた電気グリルがある。炊飯器も数ヶ月前に壊れたと話していた。いずれも単機能で値段もそれほど高くない。泊めてもらったお礼に電気グリルと炊飯器をプレゼントすることにした。村長の奥さんは要らないと言っていたが、最後は快く受け取ってくれた。

結局、村を出たのは2日目の間もなく陽が落ちようとするころ。子供たちが名残惜しそうに、遊んで遊んでと服を引っ引っ張っていた。村長一家に深く深く礼を言い、レンタカーで出発した。イサーン地方の村にある現地の民家に泊まる旅はこうして終わった。いつまでも手を振る子供たちが印象的だった。
海外情報員 Kobori 氏 プロフィール
