マタギキ volume 02 相沢正人氏(2/8)
1.ショックだったJJ編集部配属
僕ミーハーなんです。僕らの世代は長嶋茂雄にあこがれて皆野球をやりましたし、中学の時は本当にプロになりたいと思ってましたね。そのあとすぐに才能がないことに気がついて(笑)。そして大学行ってからは映画の勉強をして、映画研究部に入って部長をやってまして。だから当時は映画の道に進もうと思ってました。
ですがテレビ局を当然おとされました(笑)。そこで出版社をいくつか内定をもらって、その中で一番メジャーな光文社を選んだと。出版社は給料がいいという噂も聞いていたので、そんな単純な理由で出版社に入りましたね。その当時1980年の光文社のメイン雑誌「女性自身」は毎週120万部出てまして。配属はもちろん「女性自身」を希望していましたが、当然認められなかったです(笑)。おまえはJJだって(笑)。いや~ショックでしたね(笑)。
最初は得意分野である映画と音楽ページを担当。当時女性雑誌のエンタメ系のコーナーってダサかったんですよ。そこでドライブ用にテープを作るとか、当時女性の雑誌に車のページってなかったんですが、これからは女性も車を運転する時代だと僕らは思っていたので、徳大寺有恒さんを起用して、“女性のための車選び”とかやっていましたね。それはある意味JJの基礎をつくっていった気がしますね。
僕ミーハーなんです。僕らの世代は長嶋茂雄にあこがれて皆野球をやりましたし、中学の時は本当にプロになりたいと思ってましたね。そのあとすぐに才能がないことに気がついて(笑)。そして大学行ってからは映画の勉強をして、映画研究部に入って部長をやってまして。だから当時は映画の道に進もうと思ってました。
ですがテレビ局を当然おとされました(笑)。そこで出版社をいくつか内定をもらって、その中で一番メジャーな光文社を選んだと。出版社は給料がいいという噂も聞いていたので、そんな単純な理由で出版社に入りましたね。その当時1980年の光文社のメイン雑誌「女性自身」は毎週120万部出てまして。配属はもちろん「女性自身」を希望していましたが、当然認められなかったです(笑)。おまえはJJだって(笑)。いや~ショックでしたね(笑)。
最初は得意分野である映画と音楽ページを担当。当時女性雑誌のエンタメ系のコーナーってダサかったんですよ。そこでドライブ用にテープを作るとか、当時女性の雑誌に車のページってなかったんですが、これからは女性も車を運転する時代だと僕らは思っていたので、徳大寺有恒さんを起用して、“女性のための車選び”とかやっていましたね。それはある意味JJの基礎をつくっていった気がしますね。
