マタギキ volume 02 相沢正人氏(5/8)

4.「私たちの着る服がない」“VERY”と30代女性市場覚醒
創刊号は黒田千恵子。JJのモデルを辞めて、結婚して子供ができて、引退していたので、彼女を再度口説きましたね。彼女のようにオシャレでモテモテだった娘で、なおかつ結婚して子供が幼稚園に入るころ。そのライフスタイルを雑誌の核として使っちゃおうと。当時の主婦向け人気雑誌がやっている懸賞生活のような内容ではなく、主婦なんだけど、明るくて、外向きで、オシャレも楽しんでて、でも子育てもちゃんとしているっていう人のための雑誌を作ろうと。そういうメッセージを込めて彼女を起用しました。
その当時百貨店のミセスのコーナーも、50代の人が着るんじゃないかっていう服しかなくて。30代の主婦たちが着るものがないんです。創刊号の特集の「私たちの着る服がない」、これはまさにそこなんですよね。この創刊日がすごくて、「こんな雑誌がほしかったんです」っていう感謝の電話が鳴りやまなくて、涙が出るほどうれしかったですね。服がないと言いながら企画ではちゃんとやりました。ないながら自分で見つけてオシャレをする30代の主婦の方もいたので、彼女らを紹介したり。それがきっかけで、30代のブランドとかマーケットがいっきに拡大していきましたね。
需要があって、VERYがあって、市場が出来たって感じですね。メーカーの人もきっとその需要に気づいているハズなのに、それをブランドとして立ち上げていくほど本格的にやらなかっただけなんですよ。時代は流れているのに、“これでいいんだ”っていう固定観念で流れてきたのが、マーケットを活性できなかった。でもこういうことをやり始めたら活性していろんなビジネスが発生したんです。
創刊号は黒田千恵子。JJのモデルを辞めて、結婚して子供ができて、引退していたので、彼女を再度口説きましたね。彼女のようにオシャレでモテモテだった娘で、なおかつ結婚して子供が幼稚園に入るころ。そのライフスタイルを雑誌の核として使っちゃおうと。当時の主婦向け人気雑誌がやっている懸賞生活のような内容ではなく、主婦なんだけど、明るくて、外向きで、オシャレも楽しんでて、でも子育てもちゃんとしているっていう人のための雑誌を作ろうと。そういうメッセージを込めて彼女を起用しました。
その当時百貨店のミセスのコーナーも、50代の人が着るんじゃないかっていう服しかなくて。30代の主婦たちが着るものがないんです。創刊号の特集の「私たちの着る服がない」、これはまさにそこなんですよね。この創刊日がすごくて、「こんな雑誌がほしかったんです」っていう感謝の電話が鳴りやまなくて、涙が出るほどうれしかったですね。服がないと言いながら企画ではちゃんとやりました。ないながら自分で見つけてオシャレをする30代の主婦の方もいたので、彼女らを紹介したり。それがきっかけで、30代のブランドとかマーケットがいっきに拡大していきましたね。
需要があって、VERYがあって、市場が出来たって感じですね。メーカーの人もきっとその需要に気づいているハズなのに、それをブランドとして立ち上げていくほど本格的にやらなかっただけなんですよ。時代は流れているのに、“これでいいんだ”っていう固定観念で流れてきたのが、マーケットを活性できなかった。でもこういうことをやり始めたら活性していろんなビジネスが発生したんです。