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第6回 What About Sunset Live 〜サンセットライブはどのように作られたのか〜Vol.2(2/2)
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高度経済成長期に企業戦士として働く父と、家庭を守る母の長男として、林憲治は福岡市西区今宿に生を享けた。転勤族として家族の引っ越しが絶えなかった。仙台、千葉、奈良など転校続きで、いつしかドロップアウトして筋金入りの不良生活が続く。ここにはとても書けないような規格外の悪ソウだったという噂 (笑) 。
途中諸々省略するが、福岡に戻ってブラブラしている時に、糸島でサーフィンライフを送っていたサーファー山下洋氏と衝撃的に出会う。街や人の群れの中で虚勢を張っていたそれまでの自分が恥ずかしくなるほど、山下氏は自然に寄り添いながら、童心のようにキラキラ輝く瞳でサーフィンに夢中になっていた。どこか斜に社会と向かい合っていた当時の林が、初めて見るかっこいい大人だった。今思えば、家族のために不器用ながら一生懸命働いていた父親に、少なからぬ感謝の気持ちは当然あるが、あの頃は家庭を顧みない父親が反面教師であり、自分なりの理想とする大人像がまだ良く見えていなかった。
そんな時に初めて輝く大人と出会い、山下氏を通じてサーフィン中心のライフスタイルに憧れた。元々自然や動物好きだったこともあり、熊本の牧場で馬の世話をする仕事をしたり、只ひたすらサーフィンを続けるために宮崎で暮らしてみたり、飲食業を意識するようになってお店を回って修行したりと、徐々に今に繋がるビジョンがようやく動き出していた。

一方、その頃の僕はと言えば、ソラリアプラザのイベントプロデューサーやローカルTVの火付け役にもなった 「ドォーモ」 出演、再開した音楽活動が走り出すなど充実した忙しい日々を過ごしてはいたが、どこか息切れや虚しさも伴っていた。そんな時に林さんと出会い、サーフィンを教えてもらいながら、子供のように海や山ではしゃぐことに夢中になった。それまで溜まっていた疲れが癒され、嘘みたいに元気を取り戻し、また街に帰っていく自分に気づく。
福岡最大の魅力は都市と自然のコンパクトな融合にある。これは今となっては周知の事実であるが、林さんにはサーフィン、そして僕には音楽、そしてこれさえも融合、つまり“カルチャー”というキーワードは2人にとっても新しいパズルを完成させるために必要な、最後のピースのような存在だった。自然と音楽、そしてそれを紡ぐのは人、テーマは 「LOVE&UNITY」 ここにSUNSET LIVEのコンセプトがついに立ち上がった。続く。。。
PROFILE

音楽プロデューサー
1961年福岡市生まれ。9歳より音楽に目覚め、大学時代は、福岡出身の陣内孝則氏が在籍したロッカーズ解散後に、同ギタリストの谷信雄氏と共に「ネルソープ」を結成。その後、福岡の旅行会社に就職し、コンサートツアーや音楽イベントの企画・主催を行い、ソラリアプラザ開業準備段階からイベントプロデューサーとして参画。福岡のアーティスト・ミュージシャン・ダンサーによるコラボレーションイベントプロデュースを手掛け、1998年からは糸島市で開催されるSunSet Liveの共同プロデュース・MCを担当。執筆活動やTV番組などにも多数出演し、現在は音楽プロデューサーとして、地元福岡で活躍中。
■深町健二郎 facebook: facebook.com/kenjiro.fukamachi
■深町健二郎 twitter: twitter.com/kenjirokenjiro
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