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FUKUOKA CREATORS / vol.018 浅倉健吾(1/4)
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第18回目のゲストは、株式会社ファイブスターの代表 浅倉健吾氏。自ら“お兄系”や“ギャル”シーンの中心に浸かりながらも、氏は一時代を築いた日本の若者カルチャーをビジネスという側面からも見てきた。お兄系ブームを牽引した「109メンズ」を福岡に誘致した掛け人の一人であり、今や女子のファッションアイテムの一つとなったネイルサロンやマツエクを福岡に定着させた一人でもある。
今回は、等身大だった若者カルチャーが自身の成長、月日の変遷とともにどう変化していったのか、そしてどのように今のポジションに至ったのか、さらに現在進行中の海外進出について、氏の経験にフォーカスしながら掘り下げてみた。そこには氏が持つ天性の人間性と洞察力が関係してくるのだった。
クラブで受けたカルチャーショックと、そこで得た経験や感覚は今に生きていると思います。
――まず始めに簡単に事業内容を教えて下さい。
浅倉健吾(以下浅倉):ネイルサロンを九州と関東に9店舗、まつ毛エクステ(以下マツエク)のお店を九州と関東に5店舗、昨年ベトナムにオープンさせたネイルとマツエクが一緒にできるお店を1店舗、それと飲食業体でWOOZ(ウーズ)というバーを1店舗経営しています。
――なぜこのような事業を始めたようと思ったのですか?
浅倉:最初は20歳の頃にメンズのアパレルの店からスタートしました。その頃メンズのアパレルショップで店長をしていて、VANQUISH(ヴァンキッシュ)というブランドをやっている石川涼さんに可愛がってもらっていたんです。そのご縁で、福岡に“109メンズ”ができるという話が持ち上がった時に、石川さんから「健吾がやるなら任せるよ」って言ってくれて、VANQUISHをメインとしたアパレルの販売代理店を始めました。
浅倉健吾(以下浅倉):ネイルサロンを九州と関東に9店舗、まつ毛エクステ(以下マツエク)のお店を九州と関東に5店舗、昨年ベトナムにオープンさせたネイルとマツエクが一緒にできるお店を1店舗、それと飲食業体でWOOZ(ウーズ)というバーを1店舗経営しています。
――なぜこのような事業を始めたようと思ったのですか?
浅倉:最初は20歳の頃にメンズのアパレルの店からスタートしました。その頃メンズのアパレルショップで店長をしていて、VANQUISH(ヴァンキッシュ)というブランドをやっている石川涼さんに可愛がってもらっていたんです。そのご縁で、福岡に“109メンズ”ができるという話が持ち上がった時に、石川さんから「健吾がやるなら任せるよ」って言ってくれて、VANQUISHをメインとしたアパレルの販売代理店を始めました。

僕は当時クラブでDJやイベントをやっていて、その友達が買いに来てくれたりしていたので、上手くいっていたんですけど、男友達だけじゃなくて女の子の友達に向けて何かしてあげたいなって思い始めて。その時スタッフと話し合ってネイルサロンというアイデアが出たので、僕もそこに可能性を感じてスタートしました。
――クラブでの人脈や経験が事業を始めるにあたって基礎になってる?
浅倉:間違いないですね。僕、北九州の門司港出身なんですけど、中学の時に親の転勤で横浜に行った時に、カルチャーショックを受けたんですよ。それまでは、門司港という街が世界の全てだと思っていたんですけど、この時今までカッコいいと思っていた価値観とは全然違った新しい衝撃を受けて。クラブカルチャーに出会ったのはこの時ですね。この時の経験や感覚は今に生きていると思います。
――クラブでの人脈や経験が事業を始めるにあたって基礎になってる?
浅倉:間違いないですね。僕、北九州の門司港出身なんですけど、中学の時に親の転勤で横浜に行った時に、カルチャーショックを受けたんですよ。それまでは、門司港という街が世界の全てだと思っていたんですけど、この時今までカッコいいと思っていた価値観とは全然違った新しい衝撃を受けて。クラブカルチャーに出会ったのはこの時ですね。この時の経験や感覚は今に生きていると思います。
今の若い子たちは、活躍や注目のフィールドがSNS上に移行している。

――今でこそ、ネイルは女の子のファッションとして確立していると思うけど、10年前はどうだった?
浅倉:需要はありましたよ。ネイルサロンもすでにありましたし。ただ、当時はゴテゴテでキラキラしたようなネイルが流行っていて、福岡にはそれに対応したサロンがなかったんですよ。そこで僕らが始めたのは、何をやっても定額でつけ放題といったサロンです。当時から東京にはあったんですが、福岡にはなくて狙い目だと感じました。
――10代後半から20代の若者をターゲットにした事業が多いようですが、それはどうして?
浅倉:商売を始めようと考えた時に、自分が分かる範囲のことしかやらないと決めたんです。周りには優秀な経営者の先輩が多かったこともあって、その人達と勝負するには経験や人脈では勝てないので、自分の勝てることで勝負するにはここしかなかったっていうことですね。
――となると、自分の年齢が上がるにつれ事業も変化させていこうと思ってる?
浅倉:そうですね。それは徐々に。昔は、10代~20代前半向けの事業だったものが、20代後半になり、30代にシフトしてきています。それでも、これまでの事業は続けていかないといけないので、それは若いスタッフを責任者として任せて、僕は経営者としてもっと成長していかないといけないなと感じています。
――ビジネスを初めて10年くらいだけど、ずっと若者シーンを見てきてどう感じる? 今と昔では若者の感覚は違う?
浅倉:全く違いますね。ネイルやファッションはもちろんですけど、特に情報の集め方が全く違いますね。僕らが若い時って、情報ってほとんど日本だけだったと思うんです。雑誌や身の回りの先輩から聞く話とか。そういう意味では、ある程度固定されていたんです。でも今はinstagramとかSNSを使って、世界中から情報を集めることができる。違いという点では、昔の人の方がもっと粗削りだった気がします。今の子たちは洗練されているというか。僕、若い子たちともよく話をするんですが、彼らは考え方が全く違いますね。例えば、昔ってその町やエリアで有名になりたいという感情があったと思うんですけど、今の子はそのフィールドがSNS上に移行して、FacebookやInstagramで注目されたいと思っているんです。こういうところでも、リアルからネット上へ移行していますね。だからと言って、僕はそれを否定するつもりもなくて、僕らが対応していかないといけないなって思いますね。
→浅倉健吾氏に訊く、ギャルカルチャーの変化と今について。
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