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故・畑中純先生を偲ぶ(5/8)
長谷川法世先生: 私の漫画は博多の地方漫画なんですけれど、サービス精神で言ったら、東京から全国に売れなきゃいけないって言うこともあったんですよね。だから、最初はきたなく描いていたものも、だんだんと綺麗になっていく、東京ナイズされていくときがあったりして、スタッフも担当も誰もが「わあーいいですね」って褒めてくれた。でも、私は、これは違うからっと、何度も崩した。そうやって綺麗にやっていけば、もっと違っていたのだろうけど、この作品はそうじゃない。もっと土俗的な作品というか。ということで、じつは、無理やりやっていた。そしたら、畑中さんが出てきたら、土俗的というと語弊があるかもしれないけど、天性でやっているんですよ。私はそういうことで、作っていた。畑中純先生: 汚い、いやらしい、スケベというのをものすごい嫌ってというのもあったけど、嫌われれば嫌われるほど、そうなれば強くなって、私は、余計にこれでやっていけるんだと、おもえていましたね。
長谷川法世先生: 私は『COM』で受賞して、その次に描いたのが、朝鮮戦争の特需で成金になって、そういう人の犠牲のもとになっている立場に気づいて、そういったことを描いていくわけなんですけど、そういったときに、投書で「漫画に政治的なことを持ち込むのはいけないとおもいます」なんてあったりした。それで、ちょっと『COM』にも当時、失望に近いような気持ちもあった。
畑中純先生: そんな時代がちょうどあったね。
宮本大人先生: 長谷川先生が地元の漫画を描こうとおもった一番大きなきっかけは何だったのですか?
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