マタギキ 麻生 渡氏(2/14)
1.幼少期の戦争体験

幼稚園の時に初めて、戸畑と八幡地区がB29爆撃機の襲撃を受けました。友達一家の避難した防空壕に爆弾が直撃して一家全員が亡くなるなど、戦時中のとても厳しい時代を過ごしてきました。父は海軍に所属しており南方戦線に従軍しておりましたから、兄弟と母の3人きりでした。爆撃を受けて、戸畑地区も危険だと言うことで、一家そろって疎開をしました。みなさん「疎開」って知っていますか? 田舎に避難するということです。
知人を頼って鹿児島県の入来という町に疎開しました。鹿児島には2年半近くお世話になりました。あとから考えてみたら、米軍は沖縄から本土に攻め入っていましたから危険な方角へ逃げていったことになりますね(笑)。ですから、日が経つにつれて、毎日のように午前中から爆撃機が飛んできていましたので、午後からは休みのような日々が過ぎていきました。映画のワンシーンのような日本の戦闘機と米軍の戦闘機の空中戦を何度か見ました。
知人を頼って鹿児島県の入来という町に疎開しました。鹿児島には2年半近くお世話になりました。あとから考えてみたら、米軍は沖縄から本土に攻め入っていましたから危険な方角へ逃げていったことになりますね(笑)。ですから、日が経つにつれて、毎日のように午前中から爆撃機が飛んできていましたので、午後からは休みのような日々が過ぎていきました。映画のワンシーンのような日本の戦闘機と米軍の戦闘機の空中戦を何度か見ました。
そして8月15日に終戦を迎えました。あの日は、真夏のとても暑い日でした。大人がみんなラジオの前に集まって玉音放送を聞いていた姿を覚えています。子どもながらに決して良いことではないということは分かっていました。父は終戦後、戦争裁判にかけられて2年後に帰ってきました。過酷な時代を幼いながらも経験してきました。