マタギキ 麻生 渡氏(4/14)
3.人生の原点は八幡製鉄所 沖台通り

終戦後、父は門司港に沈む船を回収して製鉄する仕事に従事しました。私も幼いながらも父の仕事を手伝うためによくついていきました。今思えば、当時の子どもは現在の子どもと比較するとかなりしっかりしていたと思います。どの家庭も父親が出征していましたから、小さいころから「長男がしっかりと家を守らなければならない」と言い聞かせられ、肝に銘じていました。自ら進んで家の手伝いをし、責任感がとても強かったですね。
この時に社会の仕組みを肌で感じて理解することができました。親会社が経費を払ってくれずに潰れていった下請け会社をいくつも見てきました。うちみたいな孫請け会社はさらにひやひやしていましたよ。皆さん、今までこそ給料日は月に1回ですが、当時は1週間に1回といった変則的な支払が当たり前でした。そうしなければどの会社も経営がまわらなかったですから。この時の経験が私の経営感覚の原点でしょうね。