マタギキ 麻生 渡氏(3/14)
2. 出身は北九州の戸畑

鹿児島から戸畑に帰ってきましたが、食糧難の真っただ中でした。戦争によって両親を亡くした戦災孤児が小倉駅にたくさん集まっていました。そんな状況下で、終戦の翌年に戸畑小学校へ入学。入学してから間もなく結核を患い、戸畑病院へ入院することに。一年生の後半はほとんど学校にも行けず、病院で過ごしました。当時は出席日数が足りなければ小学生でも落第させられていました。母が何度も学校に通い、先生たちに「必ず勉強は追いつかせますから」と交渉してくれたおかげで、小学生で落第せずに済むことができました。
幸いなことに八幡の製鉄所は空襲を免れました。連合軍は終戦後に日本を接収した時の復興を考えて意識的に残していたそうです。当時、復興に向けて稼働している製鉄所の煙突から七色の煙が出ている姿を見て、町のみんなで「復興に向けて町が元気に動いている」と喜んでいましたね。オーバーな表現かもしれませんが、私はその煙=復興の息吹の下で育ちました。