マタギキ 小森 陽一氏(2/12)
1.初めての監督業は小学3年生

伊万里焼で有名な佐賀県の伊万里出身です。高校を卒業するまで住んでいました。小さな頃からずっとガキ大将でしたね。喧嘩もよくしていました(笑)。
初めて創作活動をしたのは小学校3年生の時でした。舞台でやる「戯曲」を書きました。当時はウルトラマンが大好きでしたので、ウルトラマンの話を書きました。ガキ大将でしたから配役も好きに決めることができ、いわゆる監督です。この時に味を占めましたね(笑)。
6年生の時にも劇をやったんですが、その時は「火薬」を使いました。煙幕を投げ込んで怪獣と戦ったんですよ。そしたら先生が慌てて消防車を呼んでしまい本当に来ちゃたんですよ。それで大目玉を食らいました(笑)。
うちの両親が映画好きなこともあり、子供の頃からよく観に連れて行ってもらいました。「ベン・ハー」や「ジョーズ」など、多くの作品を映画館で観ることができました。また、子供の時は百科事典を読むのが好きでした。読んでいると「映画監督」のことが載っていて、「映画を作って百科事典に載ることができるんだ!」と思い、それで将来の夢に決めました。
初めて創作活動をしたのは小学校3年生の時でした。舞台でやる「戯曲」を書きました。当時はウルトラマンが大好きでしたので、ウルトラマンの話を書きました。ガキ大将でしたから配役も好きに決めることができ、いわゆる監督です。この時に味を占めましたね(笑)。
6年生の時にも劇をやったんですが、その時は「火薬」を使いました。煙幕を投げ込んで怪獣と戦ったんですよ。そしたら先生が慌てて消防車を呼んでしまい本当に来ちゃたんですよ。それで大目玉を食らいました(笑)。
うちの両親が映画好きなこともあり、子供の頃からよく観に連れて行ってもらいました。「ベン・ハー」や「ジョーズ」など、多くの作品を映画館で観ることができました。また、子供の時は百科事典を読むのが好きでした。読んでいると「映画監督」のことが載っていて、「映画を作って百科事典に載ることができるんだ!」と思い、それで将来の夢に決めました。
この時に今まで経験した百科事典の面白さや、創作の楽しさが全て自分の中で一つにくっついたんです。高校時代は映画が作りたくて、アメリカに留学しようとし密航騒ぎを起こしたりもしました(笑)。両親から説得されて大学に行くことを決心して、当時、映像学科があった大阪芸術大学に行くことになりました。