マタギギ 大﨑洋 氏(10/13)
9.お笑いだけではない「吉本プロジェクト」

くり返しますが、僕は入社以来、本当に「窓際族」でした(笑)。たまたま、この10年間トントン拍子に役員になり社長になることが出来ました。振り返ってみると楽しいことばかりでしたね。だから僕は部下や後輩たちにも同じくらい楽しいことをやって欲しいと思って、色々なことを仕掛けてきました。
14~15年前、まだCDやビデオが全盛期の時に感じていたことが「このハードはいつか配信にとって代わられるだろうな」ということ。その時、吉本興業としてどうやって「権利(肖像権など)を売っていくか」と考えてレコード会社を作りました。当時から僕が不思議に思っていたことは、落語にしても音楽にしても「演者が出したい」と思った時に、版元(権利保有者)の確認がいるということです。例えば廃盤になった吉本の所属落語家のCDを販売したい、自分たちでやりますから、と言ってもできないんです。印税に関しても、業界の慣習という名目で微々たるものです。才能ある芸人たちの汗と努力の結晶を安く買いたたかれる「世の中の仕組み」を知りませんでした。
だから僕がレコード会社を作ったり、映像会社を作ればそれに続いて後輩連中が勉強してくれると考えていましたし、それが後々有利になります。当時から将来は「配信」の時代になると思っていましたから「権利の固定」を視野に入れて、出版部門やレコード会社などの子会社を立ち上げました。さらに、新しい分野を模索していました。と言うのは、放送業界にぶら下がって生きてきた吉本興業ですが、企業の広告収入を主とする放送業界は未来永劫「右肩上がり」が続くとは到底考えられず、日本の経済動向に左右されるので、その形が変わる前に、新しいタレントの新しい『食う場所』を探さなくてはいけないと思ったんです。それを2つの軸で捉えました。1つは吉本が知らないマーケットを取り込むこと、もう1つは音楽や出版など知っている業界に乗り込むことです。東京やアジアのマーケットを意識したサービス展開をしながら、KDDIさんと動画コンテンツの配信会社を作りました。この頃は「尖った時代の空気を感じる」ことを中心にやっていました。