マタギキ 矢追純一 氏(10/12)
9.テレビ局に入ったきっかけ

虚弱体質だったので、1年の半分以上学校を休んでいたりして、小学校は4年生までほとんど行ってません。4年生の時に、戦争が終わり満州から帰ってきて日本に戻りました。日本では、中学校3年間は真面目に学校に通いました。中学校だけです、真面目に学校に行ったのは(笑)。高校は、親に負担をかけたくないと思い、電気系の工業高校へ特待生(学費無料)で行ったのですが、札付きの不良高校で毎日喧嘩に明け暮れていました。勉強なんてほとんどやってませんね(笑)。ですから、僕自身は学力がないと思っています。
当時は電気系の工業高校は卒業と同時に就職は引く手あまただったのですが、なんとなく大学に行くことに決めました。両親も亡くなり妹2人を引き取り、アルバイトをしながら生活をしていたのでお金もありません。ですから、学費が安いところを探して、東大と中央大学を受験し、中央大学の法学部に受かりました。大学4年生の時にアルバイト先の常連さんから声をかけてもらったことがきっかけで日本テレビに就職しました。当時のテレビは、街頭で見るのがほとんどで、自宅にテレビを持っているのは、とてもお金持ちの人達だけでした。テレビを見るといえば、大勢で見る力道山の試合ぐらい。ですから、テレビ局のことを知らない人がほとんどでした。もちろん僕も知りませんでしたし、検討もつきませんでした(笑)。
テレビのことなど詳しく知るよしもなかったので、局の見学に連れて行ってもらっても、だだっ広いスタジオを見て「ここにリングを組むのかな」なんて力道山の会社だと勘違いしていたぐらいです(笑)。推薦がないと受けられなかったのですが、運よく常連さん(当時の著作権部長さん)から推薦を受けて、無事入社することができました。入社当初は、演出部に配属されてドラマを作っていました。僕自身、そんなにドラマ好きではなかったので視聴率はよくなかったですね(笑)。