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マタギキ 米原 康正氏(3/15)

2. 米原 康正の仕事

 1990年、31歳のときに宮沢りえさんのカレンダーに携わりました。ふんどし姿で世を騒がした作品です。この頃、秋元康さんの事務所に所属している時で、アイドル誌を編集するためにソニーミュージックに出向していました。そこでは宮沢りえさんや観月ありささん、牧瀬理穂さんを担当してました。ちょうど宮沢りえさんのお母さんと仲良くなって、「何か新しいことをやりたいんです!」ということで盛り上がり、ご自宅に遊びに行ったりして仲良くなって実現した企画です。自分でもびっくりするぐらい、ものすごい反響があり、カレンダーとしては驚きの60万部近く売れました。

 1997年、38歳の時は菅野美穂さんの「Nudity」という写真集に携わりました。この仕事は編集者として、コンセプト作りから取り組んだ仕事です。この写真集は彼女が20歳になる時に出版されることが決まっていました。長い時間をかけて進めたプロジェクトで、日常の姿から撮っていこうということで、一緒にボーリングなんかをして遊んだりもしました。ですから、写真集の中には僕の写真も使われていますが、撮影はカメラマンの方がメインです。
マタギキ 米原康正
一方、エディトリアルの部分は100%僕の編集でできた本です。ものすごく「好き勝手に」写真を使わせてもらって、今の僕が「写真を撮る」という行為に対して、かなり大きな影響を与えた仕事でした。「こういう形で写真に関わっていくことができる」と分かった転換期でもあります。

 2005年、46歳の時にAKB48の立ち上げを秋元康さんと一緒にやらせてもらいました。秋元さんは僕とは生き方が全く違うのですが、いい関係です。この頃は雑誌を中心に「ハーフモデルブーム」で僕はこちらに携わることが多く、正直アイドルには興味はありませんでしたが、この話を聞いたときに、全ての流れがハーフモデルに向いている時に、アイドル的な女の子たちをムーブメントに押し上げることが「面白そうだな」と思って携わりました。それと、一つのことに流れることが嫌いな僕の性格も後押ししました。2年間、シングル「会いたかった」までやりましたね。率直に言うと売れ出すまでの段階です(笑)。こういったビジネスモデルは売れるまでにたくさんの投資を行いますから、売れ始めるとビジネスマンは新しいことではなく、出来上がったものを「回す」という作業に重点をおき始めます。僕はそれを悪いことだとは思わないのですが、「ここから先は僕がやるべきことではないな」と思って、身を引きました。今皆に会うと「大人になったなぁ」って親戚のおじさんのような心境ですね(笑)。

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