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第59回 「歌い手として、死ぬまできっと納得しないと思うんです」-田中れいなインタビュー①

私にとってアイドルとの距離感の絶対的なターニングポイントになった、2010年パリのライブ以来観続けてきたモーニング娘。。当時のリーダーだった高橋愛はじめ、ひとりまたひとりと卒業していくなか、サッカーで言えば最前線のフォワードの位置でライブひっぱってきた田中れいなの武道館での卒業公演に関しては本連載でも紹介したとおりだ。
第56回 田中れいなのモーニング娘卒業。武道館には世界からファンが集結した
その約3週間後、モーニング娘。加入以来、初めての長期休暇で充電をとったばかりという田中れいなに、彼女の新しい航海の船であるLoVendoЯのメンバーと一緒にインタビューした。世界が待っている田中のインタビューを、今週から特別に3週にわたってお届けする。
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第56回 田中れいなのモーニング娘卒業。武道館には世界からファンが集結した
その約3週間後、モーニング娘。加入以来、初めての長期休暇で充電をとったばかりという田中れいなに、彼女の新しい航海の船であるLoVendoЯのメンバーと一緒にインタビューした。世界が待っている田中のインタビューを、今週から特別に3週にわたってお届けする。
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伝統芸能としての匠の継承に気づいて以来私が通い続けたモーニング娘。のライブ。そのライブには、世界に一緒に向かおうと話している仲間たちをできるかぎり誘ってきた。その誰しもが口をそろえたように終演後語るのが、田中れいなの存在感と歌だった。「華がある」とはまさに田中のための言葉ではないかと私は思っている。田中以上に、ライブで歌うために生まれてきたアイドルもそうそういないのではないだろうか。だから、彼女がバンドとして卒業後もライブで歌い続けると知ったときは、心底嬉しかった。
では、田中はなぜ歌うことがここまで好きなのだろうか?
「小さいときから歌を歌うことが大好きでしたが、とくに好きになったのは20歳をすぎてからなんです。テレビ番組『歌の楽園』に出演したことがきっかけです。
20歳をすぎてから、ひとりで仕事をする機会が増えたんです。それまで、私は歌というものにたいして自分のなかで満足してしまっている部分があったと思います。それが、この番組で他のアーティストのみなさんの歌を聴いて、『やばっ!』と思ったんです。圧倒されました。そして、今のままの自分じゃダメだって思いました。
『歌の楽園』は、毎回テーマにふさわしい曲をいろいろなアーティストが歌う番組でした。自分の持ち歌ではない、昔の歌を歌うわけです。だから、自分のものにする前に歌わないといけないわけです。
「小さいときから歌を歌うことが大好きでしたが、とくに好きになったのは20歳をすぎてからなんです。テレビ番組『歌の楽園』に出演したことがきっかけです。
20歳をすぎてから、ひとりで仕事をする機会が増えたんです。それまで、私は歌というものにたいして自分のなかで満足してしまっている部分があったと思います。それが、この番組で他のアーティストのみなさんの歌を聴いて、『やばっ!』と思ったんです。圧倒されました。そして、今のままの自分じゃダメだって思いました。
『歌の楽園』は、毎回テーマにふさわしい曲をいろいろなアーティストが歌う番組でした。自分の持ち歌ではない、昔の歌を歌うわけです。だから、自分のものにする前に歌わないといけないわけです。

スタッフのみなさんに『れいなちゃん、うまいね』と言ってもらえても、自分が納得できませんでした。応援席で他のみなさんの歌を聴いていると、うますぎて、ぶったおれそうになるぐらいでしたから。それから、歌についてもっと知りたいと思うようになりました。これまでほとんど話してきませんでしたが、自分のなかに課題はいくつもあるんです」

それは、たとえばどんな課題なのだろうか?
「声の太さもそうですね。私は自分の声の質は、大きく分ければアイドル系だと思うんです。声が太くない。自分ができんほうのジャンルもできるようにならないといけんなと思います。バンドになると、楽器も含め音も大きくなりますし。デビューのころに比べれば太くなったなとは思いますが、自分のなかでまだ足りません。
でも、歌い方自体は変えたくないんです。武道館で『キラキラ冬のシャイニーG』(2006年、田中の初ソロ名義曲)を久しぶりに歌ったとき、歌い方が変わっていたら厭だなと思ってましたが、大丈夫でした。昔の歌い方のままでも再現できる喉を保ちたいです。
歌い手として課題はいろいろありますが、でもきっと死ぬまでずっと納得しないとも思うんですよ」
話を聞きながら、ああ本当に田中れいなは歌うために生まれたんだなあと改めて思った。
私が彼女を知ったのは、まさに彼女が歌うことの魅力にとりつかれ、その半面で一生背負うことになる歌手としての重さを背負った時期でもある。
「声の太さもそうですね。私は自分の声の質は、大きく分ければアイドル系だと思うんです。声が太くない。自分ができんほうのジャンルもできるようにならないといけんなと思います。バンドになると、楽器も含め音も大きくなりますし。デビューのころに比べれば太くなったなとは思いますが、自分のなかでまだ足りません。
でも、歌い方自体は変えたくないんです。武道館で『キラキラ冬のシャイニーG』(2006年、田中の初ソロ名義曲)を久しぶりに歌ったとき、歌い方が変わっていたら厭だなと思ってましたが、大丈夫でした。昔の歌い方のままでも再現できる喉を保ちたいです。
歌い手として課題はいろいろありますが、でもきっと死ぬまでずっと納得しないとも思うんですよ」
話を聞きながら、ああ本当に田中れいなは歌うために生まれたんだなあと改めて思った。
私が彼女を知ったのは、まさに彼女が歌うことの魅力にとりつかれ、その半面で一生背負うことになる歌手としての重さを背負った時期でもある。
そんな時期に、日本でない場所で、何の予備知識もなく田中れいなという華に出会えたことを幸せに思うし、ビートルズに少年時代出会って以来、音楽の根源として追い続けてきたバンドの世界にやってきた田中れいなをこれからも観続けたいと思った。
次回は、田中れいなの聖地であるライブというステージ、そしてハロー!プロジェクトについてさらに語ってもらう。お楽しみに。
次回は、田中れいなの聖地であるライブというステージ、そしてハロー!プロジェクトについてさらに語ってもらう。お楽しみに。
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執筆者:櫻井孝昌氏プロフィール

ツイッターでも海外情報発信中 http://twitter.com/sakuraitakamasa/
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※次回は、田中れいなインタビュー後篇
※次回は、田中れいなインタビュー後篇