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第60回 ハロー!プロジェクトがアイドルの最前線につねにいる理由-田中れいなインタビュー②
モーニング娘。を卒業し、LoVendoЯ(ラベンダー)というバンドとして新しい航海に向かい始めた田中れいなへのインタビューを、前回に続いてお送りする。

田中れいなほど、ライブというステージで歌うために生まれたアイドルを私はそれまで見たことがなかった。田中れいなとライブは切っても切れない関係だろう。田中自身にとって、ライブとはどんな場所なのだろうか?
「神なる場所です。何をするにも恥ずかしくない場所です。ライブ中のれいながいちばん自信があります。そんな場所なんです。武道館の卒業公演は、これまでの10年間でいちばん自信がありました。とにかく早く始まってほしかったし、ファンのみなさんに観てほしかったです。モーニング娘。としての田中れいなが終わるさびしさよりも、最後のライブを思いっきり楽しみたいという気持ちのほうが強かったと思います」
「神なる場所です。何をするにも恥ずかしくない場所です。ライブ中のれいながいちばん自信があります。そんな場所なんです。武道館の卒業公演は、これまでの10年間でいちばん自信がありました。とにかく早く始まってほしかったし、ファンのみなさんに観てほしかったです。モーニング娘。としての田中れいなが終わるさびしさよりも、最後のライブを思いっきり楽しみたいという気持ちのほうが強かったと思います」


笑顔での卒業は田中れいならしいなと思った。そして、そのライブは世界中から集まったすべての人が納得できるライブだったし、1から10まで完璧な田中れいなを観ている人の脳裏に焼き付けるものだった。
「モーニング娘。にいた10年間、ずっと思っていたことは、変わらない田中れいなでいたい、ということでした。大人になったからイメージチェンジするというのではなく、れいなはれいなのまま、変わらないでいようと思い続けてました」
田中れいなは、これからも田中れいなであり続けるのだろう。
「だから、バンドになっても、田中れいなは変わりません」
「モーニング娘。にいた10年間、ずっと思っていたことは、変わらない田中れいなでいたい、ということでした。大人になったからイメージチェンジするというのではなく、れいなはれいなのまま、変わらないでいようと思い続けてました」
田中れいなは、これからも田中れいなであり続けるのだろう。
「だから、バンドになっても、田中れいなは変わりません」
私が、田中れいなのライブを初めて観て、その存在を初めて知ったのは2010年7月パリでのライブだった。世界とモーニング娘。、らハロー!プロジェクトの距離感において、このライブが持った意味はあまりにも大きかった。世界のハロー!プロジェクトに対する圧倒的な指示は日本のアニメやファッションが愛されていることと同じように、世界を周りながら私自身が感じ続けてきたことである。
15年という長い年月にわたってハロー!プロジェクトがアイドルの最前線にい続けられている理由を、渦中にいた田中はどう考えているのだろうか。
「つねにいろいろなことをしていることが大きいのではないでしょうか。同じ路線でやっていない。たとえば、℃-uteはいまセクシーラインもやってますよね。知らない人が観たら、『これアイドル? 超大人やん!』って思うのではないでしょうか。そうした変化が、それまで私たちを知らなかったみなさんにも届いてくのだと思います。」
実際、ここ1、2年でモーニング娘。や℃-uteのライブで強く感じるのは、若い女子ファンの急増ぶりだ。
15年という長い年月にわたってハロー!プロジェクトがアイドルの最前線にい続けられている理由を、渦中にいた田中はどう考えているのだろうか。
「つねにいろいろなことをしていることが大きいのではないでしょうか。同じ路線でやっていない。たとえば、℃-uteはいまセクシーラインもやってますよね。知らない人が観たら、『これアイドル? 超大人やん!』って思うのではないでしょうか。そうした変化が、それまで私たちを知らなかったみなさんにも届いてくのだと思います。」
実際、ここ1、2年でモーニング娘。や℃-uteのライブで強く感じるのは、若い女子ファンの急増ぶりだ。

かっこよくて、かわいい女の子のライブを求める女子層に、確実にハロ!プロのライブの魅力が伝わっていることを行くたびに実感する。海外では、ファンの男女比率は同じぐらいというのが私の感覚値だが、日本のファン層の広がりも海外と同じになってきている。
田中自身は、海外でモーニング娘。や自分が愛されているという実感をいつおぼえたのだろうか?
「実際に海外に行ってですね。ブログのコメントや手紙はちょいちょいいただいていましたが、そうは言っても数えられる程度でしたので、海外にもファンのみなさんがおるんやろなあぐらいの感覚でした。でも、いざ海外でライブすると、目の前には何千人というその国のみなさんがいらっしゃる。その光景を自分の目で目の当たりにしたときに、『超多いっ!』ってびっくりしました」
考えてみれば、私自身も2010年、モーニング娘。のライブで、4000人の観客のなかにいて、まさに田中と同じ気持ちだった。
田中自身は、海外でモーニング娘。や自分が愛されているという実感をいつおぼえたのだろうか?
「実際に海外に行ってですね。ブログのコメントや手紙はちょいちょいいただいていましたが、そうは言っても数えられる程度でしたので、海外にもファンのみなさんがおるんやろなあぐらいの感覚でした。でも、いざ海外でライブすると、目の前には何千人というその国のみなさんがいらっしゃる。その光景を自分の目で目の当たりにしたときに、『超多いっ!』ってびっくりしました」
考えてみれば、私自身も2010年、モーニング娘。のライブで、4000人の観客のなかにいて、まさに田中と同じ気持ちだった。


「パリのライブのときは、モーニング娘。が海外でいろいろライブをしていた時期です。その土地で一回っきりというライブばかりでしたので、全部出しつくさないという思いはありましたが、いざステージに出てしまえば、いつもと同じテンションでできました」
2012年9月、モーニング娘。がタイのバンコクのショッピングセンターで、ミニライブと握手会を実施したとき、本物の田中れいなや道重さゆみに会えて、ぼろぼろ涙を流す多数のファンと出会った。それは、私にとっても“出会ってしまった”と言えるものだった。彼女たちの想いに寄り添っていかなければ。文化外交活動を続ける私の背中がさらに押されたと感じた。
2012年9月、モーニング娘。がタイのバンコクのショッピングセンターで、ミニライブと握手会を実施したとき、本物の田中れいなや道重さゆみに会えて、ぼろぼろ涙を流す多数のファンと出会った。それは、私にとっても“出会ってしまった”と言えるものだった。彼女たちの想いに寄り添っていかなければ。文化外交活動を続ける私の背中がさらに押されたと感じた。
「やっと日本が来た」
彼女たちにとって、モーニング娘。や田中れいなは日本そのものなのである。田中れいなは、10年間育ててきたモーニング娘。の匠の精神を次の世代にバトンを渡し、LoVendoЯというガールズバンドとしての新たなキャリアを歩み始めた。アイドルからバンドマンへ。これまで誰も歩んでこなかった道を進んでいく、田中れいなの新たな思い、そしてLoVendoЯのメンバーたちの肉声を次回はお送りする。お楽しみに。
彼女たちにとって、モーニング娘。や田中れいなは日本そのものなのである。田中れいなは、10年間育ててきたモーニング娘。の匠の精神を次の世代にバトンを渡し、LoVendoЯというガールズバンドとしての新たなキャリアを歩み始めた。アイドルからバンドマンへ。これまで誰も歩んでこなかった道を進んでいく、田中れいなの新たな思い、そしてLoVendoЯのメンバーたちの肉声を次回はお送りする。お楽しみに。
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執筆者:櫻井孝昌氏プロフィール

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※次回は、田中れいなの新しい船、LoVendoЯへのインタビュー
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