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【櫻井孝昌のJAPAN! JAPAN! JAPAN!】 第105回 人生の挫折を乗り越えて。アイドルは何と闘ってきたのか!?
2010年7月、当時プラチナ期と呼ばれた、高橋愛、田中れいならのモーニング娘。のパリライブに衝撃を受けて以来、日本が誇るべき財産のひとつであるアイドルにたくさん出会ってきた。そして、いろいろな活動をともにしてきた。
そのなかでも私にとって大切な同志と言うべき存在のアイドルグループのひとつにアップアップガールズ(仮)がある。アイドルとして、かなりの苦難の道を歩んできた彼女たち。大きな目標のひとつだった中野サンプラザでの6月1日の公演もソールドアウトとなった。

アップアップガールズ(仮)に出会ったのは、2011年6月のことだった。今回は、初めて彼女たちに出会った場所でのインタビューとなった。
2011年6月当時の彼女たちは、ハロプロエッグ研修課程を修了したばかり、というよりはアイドルとしての活動に文字通り崖っぷちの状態にあった。そんなメンバーが集まってのグループの結成だったのである。どこか不安げに、一生懸命自分たちのことを語ってくれた彼女たちの姿をいまでも鮮明に覚えている。
森咲樹と新井愛瞳をのぞく5人のメンバーに、今だから語れる当時の気持ちを改めて聞いてみた。
そのなかでも私にとって大切な同志と言うべき存在のアイドルグループのひとつにアップアップガールズ(仮)がある。アイドルとして、かなりの苦難の道を歩んできた彼女たち。大きな目標のひとつだった中野サンプラザでの6月1日の公演もソールドアウトとなった。

アップアップガールズ(仮)に出会ったのは、2011年6月のことだった。今回は、初めて彼女たちに出会った場所でのインタビューとなった。
2011年6月当時の彼女たちは、ハロプロエッグ研修課程を修了したばかり、というよりはアイドルとしての活動に文字通り崖っぷちの状態にあった。そんなメンバーが集まってのグループの結成だったのである。どこか不安げに、一生懸命自分たちのことを語ってくれた彼女たちの姿をいまでも鮮明に覚えている。
森咲樹と新井愛瞳をのぞく5人のメンバーに、今だから語れる当時の気持ちを改めて聞いてみた。
仙石みなみ 「ハロー!プロジェクトにあこがれて、その想いだけで7年間やってきました。『自分はハロー!にはなれないんだ。』そのすべてが閉ざされたときでした」
佐藤綾乃 「私の場合は、他のメンバーよりそれまでの研修期間は短かったのですが、ああ、これで全部終わるんだな、アイドルとしての見込みないんだろうな、アイドル辞めようって思いました。そして、新しいことを始めようと思ったときに、母に『もう少しがんばってみれば』と言われ、いまこうしてここにいる私がいます」
佐藤綾乃 「私の場合は、他のメンバーよりそれまでの研修期間は短かったのですが、ああ、これで全部終わるんだな、アイドルとしての見込みないんだろうな、アイドル辞めようって思いました。そして、新しいことを始めようと思ったときに、母に『もう少しがんばってみれば』と言われ、いまこうしてここにいる私がいます」



関根梓 「小学2年生から研修生をずっとやってきましたし、そこしか見ていませんでした。いつか、ハロー!プロジェクトの先輩たちのように、キラキラした衣装で同じステージに立ちたいと思っていた夢がとぎれたわけです。いろんな想いが駆け巡りました。でも、それまできなかったことができるようになった、アイドル以外のことを知る大切な時間にも結果的になりました」
グループを結成しても、彼女たちはオリジナル曲を持てず、ハロプロや他のアーティストの楽曲をライブで歌ったり、ネット用の映像でカバーダンスをする日々が続いていた。
私が、メンバーの佐保明梨を連れ、モーニング娘。を卒業し中国に帰ったリンリンと一夜限りのライブをするために、中国ハルビンに向かったのもこのころだ(2011年8月末)。夏の終わり、歩行者天国で実施したファッションショーとライブは、私にとっても大切な思い出である。
秋葉原でライブ中のアップアップガールズ(仮)のステージのMCに、佐保が国際電話で参加したのもこのときだった。あのとき、秋葉原で佐保の声をスピーカーから聞いた観客のみなさんは、いまこの記事を読んでいてくれるだろうか。
グループを結成しても、彼女たちはオリジナル曲を持てず、ハロプロや他のアーティストの楽曲をライブで歌ったり、ネット用の映像でカバーダンスをする日々が続いていた。
私が、メンバーの佐保明梨を連れ、モーニング娘。を卒業し中国に帰ったリンリンと一夜限りのライブをするために、中国ハルビンに向かったのもこのころだ(2011年8月末)。夏の終わり、歩行者天国で実施したファッションショーとライブは、私にとっても大切な思い出である。
秋葉原でライブ中のアップアップガールズ(仮)のステージのMCに、佐保が国際電話で参加したのもこのときだった。あのとき、秋葉原で佐保の声をスピーカーから聞いた観客のみなさんは、いまこの記事を読んでいてくれるだろうか。


古川小夏 「カバー曲をひたすらしていた時代は、研修生時代とあまりにも環境が違いました。自分たちで率先して考えなければいけなくなったんです。歌割を決めることからステージの立ち位置まで、やることやること初めてのことばかりでした」
佐藤綾乃 「あのころは、自分たちがどこに向かっているかさえわかりませんでした」
関根梓 「あのころが、みなの気持ちがいちばんバラバラだったと思います」
佐保明梨 「誰も見ていないところで、自分たちだけでやっているようにさえ感じることさえありました」

佐藤綾乃 「あのころは、自分たちがどこに向かっているかさえわかりませんでした」
関根梓 「あのころが、みなの気持ちがいちばんバラバラだったと思います」
佐保明梨 「誰も見ていないところで、自分たちだけでやっているようにさえ感じることさえありました」

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