マタギキ熊本 村井 眞一氏(5/11)
4.副業からのスタート

鈴屋にいながら1982年に「LOFT」をオープンしました。入社して3年目で副業を始めたことになりますね(笑)。ただし、LOFTから一切給料は取りませんでした。もう一人、長村という男がいまして、当時彼も僕も仕事が面白くありませんでしたから、2人で「辞めよう」と思っていたんです。そのとき、何をしようかと考えていると、たまたま2人とも1,500枚近くレコードを持っていたんです。これを在庫に「レンタルレコード屋をやろうぜ!!」という話しになりました。当時、レンタルレコードという業態は既にありました。ただ、ポップスが中心でしたので、なかなか自分が借りたい商品がありませんでした。そこで、2人のコレクションを見ると、結構いいタイトルが揃っていたので「やれる」と思いましたね。
開業には1,500万円位のお金がかかり、僕らはお金がなかったので資産家の息子である増田さんに話を持っていきました。ちょうどそのとき増田さんも業績が悪くなって店長をはずされて、話に乗ってもらえました。もちろん、資産は親御さんのものですから彼の意思では決定できません。
開業には1,500万円位のお金がかかり、僕らはお金がなかったので資産家の息子である増田さんに話を持っていきました。ちょうどそのとき増田さんも業績が悪くなって店長をはずされて、話に乗ってもらえました。もちろん、資産は親御さんのものですから彼の意思では決定できません。
そのことを話すと「俺からじゃ言いにくいから村井から話してくれ」と頼まれ、「成功した暁には、ご子息を社長にします!」とご両親に私がプレゼンし、了解を頂きました。
大阪の枚方市で始めたLOFTはものすごく儲かりましたね。月商が300万円くらいいきましたね。仕入れが約50万円ぐらいでしたから、粗利が250万円くらいで家賃が10万円ぐらいでしょ、毎月150万円ぐらい儲かってました。他のレンタルレコード店との差別化としては、松田聖子さんのレコードを置かないこともないんですが、レーナード・スキナードやジョージ・ベンソンといった「イケてる音楽しか貸さないお店」にしたこと。
大阪の枚方市で始めたLOFTはものすごく儲かりましたね。月商が300万円くらいいきましたね。仕入れが約50万円ぐらいでしたから、粗利が250万円くらいで家賃が10万円ぐらいでしょ、毎月150万円ぐらい儲かってました。他のレンタルレコード店との差別化としては、松田聖子さんのレコードを置かないこともないんですが、レーナード・スキナードやジョージ・ベンソンといった「イケてる音楽しか貸さないお店」にしたこと。