マタギキ熊本 村井 眞一氏(6/11)
5.蔦屋スタート
1983年にLOFTの2号店をオープンしました。レンタルレコードのビジネスが儲かりましたから、「みんなで鈴屋を辞めよう」という話になりました。このときに増田さんからの提案で屋号を「蔦屋」にしました。社名の由来は、増田さんのおじいさんがやっていた会社の名前を頂きました。
ビジネスの成長期は高金利地獄でした。バブルの絶頂期でしたから金融機関からも10%ぐらいの金利でお金がかりることができた時代です。当時はフランチャイズに力を入れていましたから、コンピュータの導入に力を入れ、年商10億円ぐらいのときに8億円近く借り入れをしていました。ただ、金利だけでも年間8,000万円近くあるわけですから、いわゆる「逆鞘状態」に陥り、経営陣をはじめ従業員にも給料が払えないことが何度もありました。私なんかは年に4回ぐらいしか給料が出ませんでした。大学時代から比べるとどんどん貧乏になって行きましたね(笑)。
ビジネスの成長期は高金利地獄でした。バブルの絶頂期でしたから金融機関からも10%ぐらいの金利でお金がかりることができた時代です。当時はフランチャイズに力を入れていましたから、コンピュータの導入に力を入れ、年商10億円ぐらいのときに8億円近く借り入れをしていました。ただ、金利だけでも年間8,000万円近くあるわけですから、いわゆる「逆鞘状態」に陥り、経営陣をはじめ従業員にも給料が払えないことが何度もありました。私なんかは年に4回ぐらいしか給料が出ませんでした。大学時代から比べるとどんどん貧乏になって行きましたね(笑)。
