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マタギキ 中村貞裕 氏(11/18)

10.伊勢丹と藤巻さん

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 伊勢丹時代に出会った藤巻幸夫さんは僕の恩師です。藤巻さんと出会わなければ、今の僕はありません。ビートたけしさんと、そのまんま東さんのような、頼まれたことは絶対に断れない深い師弟関係です(笑)。
 僕はバイヤーがやりたくで伊勢丹に入ったのすが、最初はストックセールの品出しのような仕事ばかりやっていたので、2年目で辞めようと思っていました。その時に、藤巻さんの下に就くことができたので7年間働くことができました。彼は“首になるつもりで、自分のやりたいことをやってから辞めろ”と引き止めてくれました。
 この時に、今の起業につながる企画に携わることになります。当時、カリスマバイヤーであった彼の下で働いていると、たくさんのデザイナーやカメラマン、店舗経営者が売り込みに来ます。忙しくて一人一人対応できないので、まとめて会う機会を作ることにしました。「ルージュ」という伊勢丹主催のパーティーを開いたんです。そこで交流を深めてビジネスのチャンスを創出しました。
 当時は20代そこそこでしたから、正直、やりたいことがありませんでいた。でも、できることに取り組むことでそれが“やりたいこと”になるわけです。当時の僕が出来ることはパーティー企画だったので、それをやっていくうちに“やりたいこと”になっていきました。その積み重ね、経験が僕を作り上げ、今ではやりたいことだらけで時間が足りないぐらいです。
 僕が辞める7年目までに、そこで出会った人たちの仕事を伊勢丹に落とし込むことができました。ロゴマークを作ったり、BGMを作ったペットグッズ屋さんをテナントとして入れたりしました。この頃になると、藤巻さんも信頼できる友達も、周りの人たちも「辞めて独立するべきだよ」と言ってくれました。今の自分があるのは、この経験が大きく自分を育ててくれたからだと思っています。
 30歳でトランジットジェネラルオフィス設立しました。パーティー企画をやっていくうちに、顧客リストができました。これを武器に独立しようと考え、イベント会社か飲食店をやろうと考えていました。なぜ飲食業を考えていたかというと、イベント会場を借りてやっていたのですが、毎回もめ事が起き、借りてイベントを実施することがめんどくさくなっちゃったんです。それで自分の店が持ちたくなりました。その当時、駒沢公園のそばにできた「バリーキッチン」にすぐ行きました。今のカフェスタイルの最初に出来たお店です。まさに自分のやりたいお店の形がそこにはありました。やりたいと思ったら即行動なので、カフェ「OFFICE」をすぐにオープンさせました。

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