マタギギ 大﨑洋 氏(6/13)
5.1978年、吉本興業に就職
最初の仕事は、笑福亭仁鶴師匠のサブマネージャーでした。先輩マネージャーがスケジュール管理といった重要な仕事をやっていました。僕は、現場活動をフォローする係。着物なんて知りませんから、仁鶴師匠がご自身で畳んでましたので、本当に横に座っているだけでしたね(笑)。
当時、こんなことがありました。大阪で仕事を終えて、新幹線で博多に移動するときの話です。マネージャーが何をしたら良いか分からないので、何をしゃべって良いかも分からないんですね。とにかく「何かしゃべらないかん」と思い、とってつけたように「いい天気ですね」としゃべりかけました。すると師匠は「そうやね」と返事をしてくれるわけですが、その後、無言のまま博多まで向かうみたいなこともありました(笑)。
2年間ぐらい仁鶴師匠のもとでバカみたいなマネージャーをやっていたのですが、忘れられない言葉があります。「笑いというものは、ベースに愛情というものがないと、成立しないんだよ。たとえツッコミで頭をはたいても、そこに愛がなければ笑いは成り立たないんだよ」この言葉にものすごく感銘を受けて、今の僕の仕事の根底にあります。
当時、こんなことがありました。大阪で仕事を終えて、新幹線で博多に移動するときの話です。マネージャーが何をしたら良いか分からないので、何をしゃべって良いかも分からないんですね。とにかく「何かしゃべらないかん」と思い、とってつけたように「いい天気ですね」としゃべりかけました。すると師匠は「そうやね」と返事をしてくれるわけですが、その後、無言のまま博多まで向かうみたいなこともありました(笑)。
2年間ぐらい仁鶴師匠のもとでバカみたいなマネージャーをやっていたのですが、忘れられない言葉があります。「笑いというものは、ベースに愛情というものがないと、成立しないんだよ。たとえツッコミで頭をはたいても、そこに愛がなければ笑いは成り立たないんだよ」この言葉にものすごく感銘を受けて、今の僕の仕事の根底にあります。

皆さんも同じだと思いますが、学校を卒業して社会人になった最初の2~3年に経験したことは、30代になっても40代になってもその「入口」が影響していると思うんです。僕は仁鶴師匠と長い時間を過ごさせてもらうことで、どうしようもないバカだった自分に、社会人になるための「入口」を作って貰えたことが幸せでした。