[ ICON vol.52 ] 増田セバスチャン ~HARAJUKU KAWAIIカルチャーの伝道師~(3/4)
きゃりーちゃんが世界的に有名になったのも、全ては必然だった。
●震災後にリリースされたきゃりーぱみゅぱみゅのシングル「PONPONPON」。そのカラフルな音楽とミュージック・ビデオは瞬く間に世界中に広がる。増田セバスチャンはこのビデオの美術をディレクション。
――そのイベントでの新たな発見はありましたか?
増田:なぜ日本人が海外で高い評価をされないかというと、海外では必ず自分が作った作品に対して言葉で説明できない人は評価の対象にならないってことに気が付きました。サンフランシスコの時は、一か月限定ショップに来てくれたお客さんたちに恩返しをしたいと思ってお店の中でトークショーをしたんですが、店 内に入りきらないほどの人が来てくれて。そこで「なぜ君たちが原宿カルチャーに惹かれているのか」「なぜ君たちが今日ここに来ているのか」を話したら、スタンディングオベーションが鳴り止まなくて。サンフランシスコはアカデミックな話が好きな土地なので、日本オリジナルの原宿カルチャーがなぜどのように生まれたのかという言葉をずっと聞きたくて待っていたと思うんです。カラフルな髪やタトゥーを入れた子が「私はこのファッションに自信を持って良いんだ」とか「なぜ私がブルーの髪をしているのかがやっと分かった」って言って泣いてる子もいて。海外って日本以上にシングルマザーだとか、そういう境遇の人も多くて、それは人知れず皆心の中に抱えてて。その拠り所がファッションだという人も当然居て。原宿はファッションを通して自己主張をする街なので、どんな格好でも偏見無しに大目に見てくれる。アメリカの彼女たちにとっては原宿は聖地に見えるんですよね。
増田:なぜ日本人が海外で高い評価をされないかというと、海外では必ず自分が作った作品に対して言葉で説明できない人は評価の対象にならないってことに気が付きました。サンフランシスコの時は、一か月限定ショップに来てくれたお客さんたちに恩返しをしたいと思ってお店の中でトークショーをしたんですが、店 内に入りきらないほどの人が来てくれて。そこで「なぜ君たちが原宿カルチャーに惹かれているのか」「なぜ君たちが今日ここに来ているのか」を話したら、スタンディングオベーションが鳴り止まなくて。サンフランシスコはアカデミックな話が好きな土地なので、日本オリジナルの原宿カルチャーがなぜどのように生まれたのかという言葉をずっと聞きたくて待っていたと思うんです。カラフルな髪やタトゥーを入れた子が「私はこのファッションに自信を持って良いんだ」とか「なぜ私がブルーの髪をしているのかがやっと分かった」って言って泣いてる子もいて。海外って日本以上にシングルマザーだとか、そういう境遇の人も多くて、それは人知れず皆心の中に抱えてて。その拠り所がファッションだという人も当然居て。原宿はファッションを通して自己主張をする街なので、どんな格好でも偏見無しに大目に見てくれる。アメリカの彼女たちにとっては原宿は聖地に見えるんですよね。

●6%DOKIDOKIが一面を飾ったアメリカ・サンフランシスコの新聞「San Francisco Chronicle」
――世界ツアーをしていく中で、各地のメディアによる反応はどうでしたか?
増田:各国、各地のメディアにもたくさん取材してもらって“KAWAII”と“HARAJUKU”という言葉が結び付いて広がって行き、サンフランシスコの新聞「Sanfrancisco chronicle」や「IBUKI MAGAZINE」っていうシアトルの雑誌の表紙にもなりました。日本人って「日本のモノが海外に受入れられるワケがない」って自分たちを卑下する風潮があるから、海外の方がどんどん広がって行って、その反響が日本に返って来るには時差がありました。そんな形で急速に世界中に“KAWAII”と“HARAJUKU”が広まっていく中で起きたのが、東日本大震災なんです。その時世界中のトップニュースは日本でした。悪い意味で日本が注目され、僕のところにもCNNから取材がありました。その時に世界は絶望の日本の中で、カラフルな文化に未来や希望を見出したんです。そこに出てきたのが、きゃりーぱみゅぱみゅというアイコンなんです。
――きゃりーちゃんの出現は必然だったのかもしれないですね。
増田:今までこういうファッションやカルチャーは広がって行ったんだけど、アイコンがいなかった。今まで6%DOKIDOKIのお客さんの一人だった彼女がピックアップされ、そこに音楽が結び付いて、いっきにアイコンになったんです。この震災とカラフルな文化ってのは実は密接に結び着いていたし、きゃりーちゃんが世界的に有名になったのも全ては必然だったんです。そして震災後にきゃりーちゃんが出したデビュー曲「PONPONPON」がカラフルな音楽とMVとともに世界中に広がって行くんです。日本が震災で注目されている中に現れたアイコンだったから、世界の人々からも引っかかりやすかったんですよね。
増田:各国、各地のメディアにもたくさん取材してもらって“KAWAII”と“HARAJUKU”という言葉が結び付いて広がって行き、サンフランシスコの新聞「Sanfrancisco chronicle」や「IBUKI MAGAZINE」っていうシアトルの雑誌の表紙にもなりました。日本人って「日本のモノが海外に受入れられるワケがない」って自分たちを卑下する風潮があるから、海外の方がどんどん広がって行って、その反響が日本に返って来るには時差がありました。そんな形で急速に世界中に“KAWAII”と“HARAJUKU”が広まっていく中で起きたのが、東日本大震災なんです。その時世界中のトップニュースは日本でした。悪い意味で日本が注目され、僕のところにもCNNから取材がありました。その時に世界は絶望の日本の中で、カラフルな文化に未来や希望を見出したんです。そこに出てきたのが、きゃりーぱみゅぱみゅというアイコンなんです。
――きゃりーちゃんの出現は必然だったのかもしれないですね。
増田:今までこういうファッションやカルチャーは広がって行ったんだけど、アイコンがいなかった。今まで6%DOKIDOKIのお客さんの一人だった彼女がピックアップされ、そこに音楽が結び付いて、いっきにアイコンになったんです。この震災とカラフルな文化ってのは実は密接に結び着いていたし、きゃりーちゃんが世界的に有名になったのも全ては必然だったんです。そして震災後にきゃりーちゃんが出したデビュー曲「PONPONPON」がカラフルな音楽とMVとともに世界中に広がって行くんです。日本が震災で注目されている中に現れたアイコンだったから、世界の人々からも引っかかりやすかったんですよね。
海外はきっとこのカルチャーに日本の未来や希望を感じたんです。

●LAで6000人を動員した増田セバスチャンがプロデュースしたカルチャーイベント「Roots of kawaii」
――その後きゃりーちゃんとは色々タッグを組んで行くことになるんですよね?
増田:そうですね。2011年の12月には、「Roots of kawaii」というイベントをLAでやりました。“KAWAII”が世界中に広がって行く中、ちゃんとそれを説明しな きゃいけないって思ったんです。なぜかと言うと、例えば海外の人にキティちゃんのことを聞くと「ミッキーがネズミだから、キティちゃんは猫なんでしょ?」っていう認識だったんです。つまり、ミッキーのパクリだと思っているんだけど、我々日本人は日本に脈々と流れるKAWAIIカルチャーの上に出て来たキティちゃんであって、オリジナルだと普通に思っている。だから、海外にはそのルーツを見せないと日本のKAWAIIカルチャーはいずれ埋もれてしまうと思って、日本のファンシー文化の元祖である内藤ルネさんの作品と、その最先端であるきゃりーちゃんを海外で紹介することによって、キティちゃんよりずっと前に続いてきた歴史の上に“KAWAII”が生まれている現実を伝えようとしたんです。ちなみに、そのイベントは入場に6時間待ちってほどの盛況。こうやって KAWAIIカルチャを高度なコンテクストの上に拡散していったんです。
僕たちって海外の何もそういう文化が入って来ていない段階からやるので、獣道を草をかき分けながら開拓して行く感じなんです。国内でも僕たちが開拓した道に、中川さん(ASOBISYSTEM)たちが『HARAJUKU KAWAII!!!!』っていうイベントを始めて、横の繋がりができて、それをまた海外に持っていくっていう新しい流れもできてますね。今この状況が盛り上がっている中 で90年代のカラフルな文化って見直されているんです。もし僕たちがこういう動きをしなかったら、きっと忘れ去られた文化だったのかもしれない。でも、実際に自分たちはその時代に生きてたし、存在していた。だから今に繋がって、きゃりーちゃんのような感覚的に生きてる子たちが90年代の自由な原宿をもう一度見たい、味わいたいという部分で盛り上がっている。そして、海外はこのカルチャーに日本の未来や希望を感じたんです。

●6%DOKIDOKIファッションショーに登場したきゃりーぱみゅぱみゅ。

●「Roots of kawaii」のサポートスタッフ集合写真。増田セバスチャンが主催する海外イベントは、日本人主催のイベントには珍しく、スタッフも観客も現地の人々ばかりなのが特徴的。