[愛魂 vol.26] フォトグラファー 米原康正 ~チェキを持った若者文化の代弁者~(1/3)
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画像:DVD”momi☆ero”より
小粋に被ったベースボールキャップとチェキを片手に、今や日本だけではなく、台湾を始めとするアジア諸国から欧米諸国まで、世界中から引っ張りだこのフォトグラファー米原康正氏。
編集者としてキャリアをスタートし「egg」「アウフォト」「smart girls」などの雑誌を手掛けるなど、常に時代の最先端の“女のコ”を追いかける彼の作品は、いわば近年の日本の女の子カルチャーの変遷と言っても過言ではないだろう。
“女のコ”というフィルターを通し、常に日本と世界の時代の移り変わりを俯瞰してきた彼は、その時々に社会が抱える問題と向き合ってきた。そんな中で現在米原氏が考えるダメな日本を作った大人達と現代社会とは。
今後若者達がどう自分を表現し、この時代にサバイブしていくべきなのか。今回のインタビューでは、彼の言葉の節々にその答えが隠されてた。
編集作業の一貫として、自分で書いたり、写真を撮ったりしてる。
asianbeat(以下ab):米原さんが雑誌編集者になった経緯や、そこからフォトグラファーの道に進むようになったキッカケは?
米原:今は写真を撮ってるんですけど、基本的に自分は編集者だと思ってて。その編集作業の一貫として、そのビジュアルだとか内容を編集者である僕が自分で書いたり、写真を撮ったりしてるって考え方。その写真の部分が一人歩きして、今はその立場になってるってところが強いかなって気がしますね。元々は大学生の時に集英社でアルバイトしてて、すごく給料が良いし、ボーナスも出るので豪華な学生生活を送ってまして。当時は今みたいにEメールなんてないから、作家が書いた原稿を取りに行くみたいなバイトだったんだけど、僕昔から遊びがすごい好きだったので、その遊んでる情報とかネットワークで人を紹介したりっていうのが、段々バイトとは別の仕事になってきて。そのうち文章も書くようになって、就職活動なんか一度もしないうちに出版的な仕事をやりだして、現在に至ってます。
米原:今は写真を撮ってるんですけど、基本的に自分は編集者だと思ってて。その編集作業の一貫として、そのビジュアルだとか内容を編集者である僕が自分で書いたり、写真を撮ったりしてるって考え方。その写真の部分が一人歩きして、今はその立場になってるってところが強いかなって気がしますね。元々は大学生の時に集英社でアルバイトしてて、すごく給料が良いし、ボーナスも出るので豪華な学生生活を送ってまして。当時は今みたいにEメールなんてないから、作家が書いた原稿を取りに行くみたいなバイトだったんだけど、僕昔から遊びがすごい好きだったので、その遊んでる情報とかネットワークで人を紹介したりっていうのが、段々バイトとは別の仕事になってきて。そのうち文章も書くようになって、就職活動なんか一度もしないうちに出版的な仕事をやりだして、現在に至ってます。

ab:その後「アウフォト」や「smart girls」を創刊していくという流れですか?
米原:出版社にいる間は編集、ライターをしてたんだけど、やっぱり自分の仕事じゃないなぁってのに気づいて。というのも、基本的に出版社が求める人間像みたいなのがあまりにもカッコ悪くて。今でも多分そうなんだけど、出版社が想定する人間像って、“馬鹿でモノを何の迷いもなく買ってくれる”人達。要するにモノを買ってくれることが大前提。
1980年代くらいから、基本的にものを考えない人達を作るってのが出版社の大枠の流れになって行き、僕はそれが嫌だなぁと思って。その当時は片やこういう馬鹿な雑誌作りと、片や浅田彰さんのようなニューエイジっぽい思想的な人と、両極になっちゃったんだよね。そういう両極端がすごい嫌で、真ん中なことをやって行きたいなぁと思って、自分の企画でやり出したのが「egg」や「smart girls」、「アウフォト」だったりするんだけど。基本的に「アウフォト」の時に素人写真というものをクローズアップさせて、「smart girls」では自分でチェキで写真を撮るっていうことをやり出したから、2003年くらいからフォトグラファーとしての僕が一人歩きしてる感じかな。
僕は基本的に自分で考えた企画を形にしているので、受ける編集作業っていうのはほとんどやってないですね。93年以降は自分で企画したものをどう展開させていくかとか、僕の仕事を理解してくれる人が振ってくれる仕事をしているって感じだったりします。
米原:出版社にいる間は編集、ライターをしてたんだけど、やっぱり自分の仕事じゃないなぁってのに気づいて。というのも、基本的に出版社が求める人間像みたいなのがあまりにもカッコ悪くて。今でも多分そうなんだけど、出版社が想定する人間像って、“馬鹿でモノを何の迷いもなく買ってくれる”人達。要するにモノを買ってくれることが大前提。
1980年代くらいから、基本的にものを考えない人達を作るってのが出版社の大枠の流れになって行き、僕はそれが嫌だなぁと思って。その当時は片やこういう馬鹿な雑誌作りと、片や浅田彰さんのようなニューエイジっぽい思想的な人と、両極になっちゃったんだよね。そういう両極端がすごい嫌で、真ん中なことをやって行きたいなぁと思って、自分の企画でやり出したのが「egg」や「smart girls」、「アウフォト」だったりするんだけど。基本的に「アウフォト」の時に素人写真というものをクローズアップさせて、「smart girls」では自分でチェキで写真を撮るっていうことをやり出したから、2003年くらいからフォトグラファーとしての僕が一人歩きしてる感じかな。
僕は基本的に自分で考えた企画を形にしているので、受ける編集作業っていうのはほとんどやってないですね。93年以降は自分で企画したものをどう展開させていくかとか、僕の仕事を理解してくれる人が振ってくれる仕事をしているって感じだったりします。
なんで日本にいて日本そのものを威張れないのかなぁって。

ab:写真を撮るようになったキッカケは?
米原:元々写真はすごい好きで、フリーで編集やってた時も写真集作ったりしましたね。菅野美穂ちゃんの「NUDITY」とか。だから写真というもの自体はずっと僕についてまわってて、突然始まったものではないですね。ちょうど「アウフォト」作った1997年頃から写真界では、アメリカンテイストやヨーロッパテイストの写真がカッコいいって言われ出して。でもなんで日本って日本オリジナルな部分を自分達が“良い”と言えないのかなって疑問に思っていて。日本のカメラマンってファッション誌にしても、例えば日本人に外人っぽいポーズとか表情をさせるっていう、普段じゃない世界観を作るじゃない。「ここニューヨークみたい」「この景色ロンドンみたいですね」とか言ってロケするんだけど、だったらニューヨーク行きゃいいじゃんとか思って。なんで日本の中で日本じゃないみたいな部分を威張って、日本そのものを威張れないのかなぁって。1990年代に海外の「i-D」という雑誌が元気が良かった頃に、ハイファッションに日本の下町とか普通の住宅街を舞台にすごい写真をバコって撮られたのね。
米原:元々写真はすごい好きで、フリーで編集やってた時も写真集作ったりしましたね。菅野美穂ちゃんの「NUDITY」とか。だから写真というもの自体はずっと僕についてまわってて、突然始まったものではないですね。ちょうど「アウフォト」作った1997年頃から写真界では、アメリカンテイストやヨーロッパテイストの写真がカッコいいって言われ出して。でもなんで日本って日本オリジナルな部分を自分達が“良い”と言えないのかなって疑問に思っていて。日本のカメラマンってファッション誌にしても、例えば日本人に外人っぽいポーズとか表情をさせるっていう、普段じゃない世界観を作るじゃない。「ここニューヨークみたい」「この景色ロンドンみたいですね」とか言ってロケするんだけど、だったらニューヨーク行きゃいいじゃんとか思って。なんで日本の中で日本じゃないみたいな部分を威張って、日本そのものを威張れないのかなぁって。1990年代に海外の「i-D」という雑誌が元気が良かった頃に、ハイファッションに日本の下町とか普通の住宅街を舞台にすごい写真をバコって撮られたのね。
それとかカッコいいなぁと思って。その日常(=下町)と非日常(=ハイモード)の掛け合わせというか。日常の部分をなんで日本人自体がちゃんと見つけて撮ることができないのかなぁって。今ではそれがますますひどくなって、外人や西洋カルチャー的なイメージが万歳で、モロ日本っぽく出すと相手にもされない状況だったりする。
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