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第19回 世界はいかにオタク化していったのか? 生粋のオタク、吉田尚記アナウンサーとの対談(1/3)
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2009年から2010年は、大切な仲間にたくさん出会った2年間だった。導かれるように、2008年から本格的に始まった私の文化外交活動。第二次ジャポニスムとも言える現在の日本と世界をめぐる状況に日本人がようやく気づき始める扉が本格的に開き始め、世界各地での日本ポップカルチャー紹介イベントにも数々の転機がおきた2年間だった。
いま思い返しても、この2年間の日本ポップカルチャーをめぐる世界での喧騒は熱かった。私が外務省のみなさんといっしょにカワイイ大使プロジェクトを進めたり、モーニング娘。と出会ったのも、上坂すみれと出会ったのも、この2年の出来事だった。
そんな時期に出会った仲間に、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんがいる。プライベートでは彼の愛称である「よっぴー」と呼ばせてもらっている。

▲吉田尚記氏
「僕の番組に出演するゲストが海外のイベント出演のことを語ってくれることが多くなってきたのに、僕がそんなイベントを観てないのはまずいですよね」
ある日、吉田さんはそう語り、すぐに貴重な年休を使い、2009年11月プライベートでバルセロナの「サロン・デル・マンガ」とモスクワの「ジャパン・ポップカルチャー・フェスティバル(JPCC、現J-FEST)」での文化外交活動を観にきてくれた。企画から携わったモスクワのJPCCはこの年が第一回。吉田さんは、いまや3万人のイベントに成長したJ-FESTの立ち上げの目撃者でもあるのだ。
翌年には、私が団長をつとめた、国家事業の日中青年交流訪中団にも参加してくれ、北京、重慶、広州で中国の若者たちと熱いコミュニケーションを交わしてくれた。
そんな吉田さんが、「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」(太田出版)というコミュニケーション術の本を出版した。一人でも多くのみなさんに読んでもらいたいなという思いも込め、生粋のオタクである吉田さんと対談することにした。
インターネットでオタクに覚醒
櫻井: 2009年、2010年と、モスクワ、重慶といった、メディア業界関係者がなかなか行かない場所を回りましたね。
吉田: 改めて考えると、もう6年も前のことになるんですね!
櫻井: 吉田さんは、モスクワのジャパン・ポップカルチャー・フェスティバルの最初を観た貴重な日本人ですよ。
吉田: あのイベント(J-FEST)もいまや大変なことになっているんですよね。
櫻井: 3万人動員のイベントに成長しましたよ。
吉田: 3万人!
櫻井: あのころ吉田さんが言っていたことで印象的だったのは、インターネットによって世界各国の一定数が遺伝子レベルでオタクに目覚めたという言葉です。
吉田: 携帯電話が入るタイミングさえ違ったのに、インターネットのブロードバンド化はあのころの5年以内に世界に同時に起きた数少ない変化なんですよ。
それまでは、コンテンツのデリバリーが大資本しか国を越えることができなかった。たとえば重慶。マイケル・ジャクソンの大きな看板はありましたよね。一方、街中にアニメのポスターはなかった。でもアニメのファンはたくさんいた。インターネットが、コンテンツのデリバリーの仕組みを根底から変えたわけです。コンテンツが並列的に世界に届く仕組みができてしまったんですね。
オタクはその前段階で日本にしかいなかった。もしオタクが目覚める遺伝子があるとするなら、それは何かの環境におかれないと出てこない。オタクに目覚める環境がブロードバンド革命以前は日本にしか存在しなかった。それがインターネットによって、日本と同じ状況が海外でもできてしまったわけです。
櫻井さんも本で書かれていたように、日本はものづくりのタブーが極めて少ない国です。そんな状況で人間がストレートに楽しいなと思うものを追求していったらオタク文化にたどりつき、日本にだけひとつの体系ができ、生き延び続けていた。でも、この内部の人たちは、僕も含め世界のことをほとんど考えていなかった。それが、インターネットによってオタク文化が世界にガーンと届くようになったわけです。
櫻井: まるで、幕末の日本のようですね。
吉田: そうそう、『ターヘルアナトミア』が杉田玄白たちによって『解体新書』として訳されるようになった状況。それがもっと大規模になった、インターネットによる世界へのオタク文化の開国です。
インターネットによって、世界にあるすべてのコンテンツが横一線に並んだ。そして、遺伝子レベルでオタク文化を楽しいと思う人間が世界にいることが初めてわかった。初めて自分の目で目撃したバルセロナの「サロン・デル・マンガ」で僕もコスプレイヤーたちの姿に衝撃を受けました。だってそこには日本人がいないんです。誰もここに伝道者はいない。誰も伝道していないのに勝手に現地の人がオタク文化を好きになっている。これはもはや遺伝子のしわざであろうと僕は思いました。勝手にオタク文化が広がったことが重要なんです。
櫻井: 当時、世界中でオタク文化の浸透を目撃した身には、吉田さんの言葉はなるほどな~と思いましたよ。
吉田: いま僕らが、アイドルがオタクであることにもはや驚かないようなものですよ。いま世界のオタクに関して日本でも、そんな人いないでしょという人たちと、いや普通にいるでしょと思う人たちが数の上でも分水嶺にある気がします。
いま思い返しても、この2年間の日本ポップカルチャーをめぐる世界での喧騒は熱かった。私が外務省のみなさんといっしょにカワイイ大使プロジェクトを進めたり、モーニング娘。と出会ったのも、上坂すみれと出会ったのも、この2年の出来事だった。
そんな時期に出会った仲間に、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんがいる。プライベートでは彼の愛称である「よっぴー」と呼ばせてもらっている。

「僕の番組に出演するゲストが海外のイベント出演のことを語ってくれることが多くなってきたのに、僕がそんなイベントを観てないのはまずいですよね」
ある日、吉田さんはそう語り、すぐに貴重な年休を使い、2009年11月プライベートでバルセロナの「サロン・デル・マンガ」とモスクワの「ジャパン・ポップカルチャー・フェスティバル(JPCC、現J-FEST)」での文化外交活動を観にきてくれた。企画から携わったモスクワのJPCCはこの年が第一回。吉田さんは、いまや3万人のイベントに成長したJ-FESTの立ち上げの目撃者でもあるのだ。
翌年には、私が団長をつとめた、国家事業の日中青年交流訪中団にも参加してくれ、北京、重慶、広州で中国の若者たちと熱いコミュニケーションを交わしてくれた。
そんな吉田さんが、「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」(太田出版)というコミュニケーション術の本を出版した。一人でも多くのみなさんに読んでもらいたいなという思いも込め、生粋のオタクである吉田さんと対談することにした。
インターネットでオタクに覚醒
櫻井: 2009年、2010年と、モスクワ、重慶といった、メディア業界関係者がなかなか行かない場所を回りましたね。
吉田: 改めて考えると、もう6年も前のことになるんですね!
櫻井: 吉田さんは、モスクワのジャパン・ポップカルチャー・フェスティバルの最初を観た貴重な日本人ですよ。
吉田: あのイベント(J-FEST)もいまや大変なことになっているんですよね。
櫻井: 3万人動員のイベントに成長しましたよ。
吉田: 3万人!
櫻井: あのころ吉田さんが言っていたことで印象的だったのは、インターネットによって世界各国の一定数が遺伝子レベルでオタクに目覚めたという言葉です。
吉田: 携帯電話が入るタイミングさえ違ったのに、インターネットのブロードバンド化はあのころの5年以内に世界に同時に起きた数少ない変化なんですよ。
それまでは、コンテンツのデリバリーが大資本しか国を越えることができなかった。たとえば重慶。マイケル・ジャクソンの大きな看板はありましたよね。一方、街中にアニメのポスターはなかった。でもアニメのファンはたくさんいた。インターネットが、コンテンツのデリバリーの仕組みを根底から変えたわけです。コンテンツが並列的に世界に届く仕組みができてしまったんですね。
オタクはその前段階で日本にしかいなかった。もしオタクが目覚める遺伝子があるとするなら、それは何かの環境におかれないと出てこない。オタクに目覚める環境がブロードバンド革命以前は日本にしか存在しなかった。それがインターネットによって、日本と同じ状況が海外でもできてしまったわけです。
櫻井さんも本で書かれていたように、日本はものづくりのタブーが極めて少ない国です。そんな状況で人間がストレートに楽しいなと思うものを追求していったらオタク文化にたどりつき、日本にだけひとつの体系ができ、生き延び続けていた。でも、この内部の人たちは、僕も含め世界のことをほとんど考えていなかった。それが、インターネットによってオタク文化が世界にガーンと届くようになったわけです。
櫻井: まるで、幕末の日本のようですね。
吉田: そうそう、『ターヘルアナトミア』が杉田玄白たちによって『解体新書』として訳されるようになった状況。それがもっと大規模になった、インターネットによる世界へのオタク文化の開国です。
インターネットによって、世界にあるすべてのコンテンツが横一線に並んだ。そして、遺伝子レベルでオタク文化を楽しいと思う人間が世界にいることが初めてわかった。初めて自分の目で目撃したバルセロナの「サロン・デル・マンガ」で僕もコスプレイヤーたちの姿に衝撃を受けました。だってそこには日本人がいないんです。誰もここに伝道者はいない。誰も伝道していないのに勝手に現地の人がオタク文化を好きになっている。これはもはや遺伝子のしわざであろうと僕は思いました。勝手にオタク文化が広がったことが重要なんです。
櫻井: 当時、世界中でオタク文化の浸透を目撃した身には、吉田さんの言葉はなるほどな~と思いましたよ。
吉田: いま僕らが、アイドルがオタクであることにもはや驚かないようなものですよ。いま世界のオタクに関して日本でも、そんな人いないでしょという人たちと、いや普通にいるでしょと思う人たちが数の上でも分水嶺にある気がします。
2009年。バルセロナ「サロン・デル・マンガ」









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